フェンシング西藤、五輪そして「その後」への思い

  • 西藤俊哉(19年1月撮影)

フェンシング男子フルーレ日本代表の西藤俊哉(23=長野クラブ)が5月31日までに日刊スポーツの電話取材に応じた。来夏に延期された東京五輪で日本初の金メダルを目指すのは当然のこと、大会後の競技普及も見据えてSNSで積極的に発信中。17年の世界選手権で銀メダルを獲得し、ピスト(競技コート)外では1997(平9)年度に生まれた選手による「97年会」の“会長”と慕われる男が、フェンシング界の発展に懸ける思いを語った。

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新型コロナウイルスの感染拡大後、西藤はフェンシング界の枠を超えた発信を続けてきた。2カ月を超えた自宅待機中、SNSで他競技の選手と交流し、ブログを始め、ヨガ教室で講演し、書道とコラボした。

「苦しい時こそ、ポジティブでいることがアスリートの仕事。今は生活が最優先。スポーツ離れが進んでしまうと怖いけれど、日常が戻ってくれば、またスポーツが力を発揮すると信じている。その日のために発信していく」と話す。

お手本の1人は現在の日本フェンシング協会会長、太田雄貴。小学校3年の時にイベントで剣をまじえ、子供相手でも手加減なしで相手してくれた日から、五輪を目指してきた。20歳になった17年、世界選手権ライプチヒ大会(ドイツ)で銀メダル。太田以来の決勝進出で、後継者と称されるようになった。来夏の東京では、北京とロンドンで銀の先輩を超える「日本初の金メダル獲得が夢」。同時に発信力も参考にする。

新型コロナ禍で、憧れの存在には電話やオンライン会議システム「Zoom」で相談に乗ってもらった。

「よく『五輪のメダルは通行手形みたいなもの』とおっしゃっている。今まで会えなかった人に会える、行けなかった場所に行ける、聞いてもらえなかった話を聞いてもらえる、と。メダルは人生を変えるのではなく、変えるチャンスをくれるものだと。まずは夢をかなえ、太田さんの知名度あってのフェンシングというマイナースポーツを、どう発展させていくか」と深く考えるようになった。

そのための1案を、垣根を越えて仲間と。インスタライブでは、既に東京五輪出場が内定しているトランポリンの堺亮介とまず交流した。共通点は同い年。97年度生まれのアスリートで結成した「97会」のメンバーと連動した。

16年リオデジャネイロ五輪代表で2大会連続切符を狙う、体操の内山由綺や新体操の熨斗谷さくら、横田葵子、皆川夏穂ら「グループLINEでつながる27人(4月現在)」で定期的に集っている。

2度目の会合で幹事をして以降、東京・帝京高でも同じクラスだった内山から「会長」と呼ばれる西藤。予定調整が難しく、これまでは年1回程度しか一堂に会せなかったが、時下、Zoom等の活用で開催頻度が増加。メンバーも増えて活動自粛中の練習法などを情報交換している。先がある若手らしく、話題は東京五輪「後」にも及んだ。

「『97会』でイベントしたいなって。フェンシングを他競技のファンに知ってもらえるチャンスだし、その逆もある。単なるトークだけではなく、アスリートの身体能力を生かした交流もしてみたい」

発想が膨らみ過ぎて「もう企画書、作り始めてますから」と笑いつつ、声は本気だ。5月14日には「97会」の公式ツイッター(https://twitter.com/97athlete/)を開設。同30日には、Zoomを通じてリハーサルする様子を公開して良好な関係を証明した。6月1日午後8時からは西藤がメンバーの先陣を切り、ファンにヨガを伝授することも決まった。

この取り組みが、さらに自身のモチベーションを高めた。「五輪後にワクワクすることがあるので、さらに金メダルへの欲が出てきたんです。新型コロナが終息して、また人と人がつながれるようになった時に開催される五輪は今まで以上の意味を持つ。どう発信していくか。金メダルを取って影響力を持って自分の言葉を発するのか、試合で体現するのか、イベントを行っていくのか」。スポーツの魅力を伝えるための想像も尽きない。

当然、結果を出すことが大前提だ。環境も、よりベターになるような選択をした。法大4年。昨春から1年半休学し、もともと今夏だった五輪に専念する計画だったが、延期を受けて復学した。

「学内の決まりで休学は連続2年間まで。ここで休学を延長してしまうと、来年になった五輪の直前に復学しないといけなくなる。少なくとも今年は夏場まで大会がないし、今のうちに学業にも集中できれば。その後の予定に臨機応変に対応するためにも」という選択だった。4月からオンラインで授業を受けながら週6日のトレーニングと両立させている。

緊急事態宣言が全面解除され、日本代表の練習再開が近づいてきた。

「この期間中は都の情報をしっかり確認しながら、1日の中で最も人出が少ない時間帯に走るようにしてきた。海外は外出禁止令。一方の日本は、強制されなくても規律を守る国民性だから外に出られている。これは日本人がつくり出したチャンスだと思う。生かさない手はないし、この時期に海外との差を縮められれば」

フェンシング界の発展を背負う覚悟も、ただ五輪に出場するだけでは説得力を持たない。日本初の頂点へ、先に待つ可能性へ「人生を懸けて」突き進む。【木下淳】

◆西藤俊哉(さいとう・としや)1997年(平9)5月29日、長野県箕輪町生まれ。フェンシング選手だった父繁さんの運営クラブで5歳から始め、中学2年で単身上京してJOCエリートアカデミー入校。16年世界ジュニア団体優勝。17年の世界選手権は前年リオ五輪の金メダリスト、ガロッツォ(イタリア)を破って準V。同年の全日本選手権で初優勝した。鋭いフットワークと駆け引きが武器。昨年、JALとスポンサー契約を結ぶ。4月にブログ「意志のあるところに道は開ける」を開設。178センチ、72キロ。血液型AB。

◆97会 主に東京五輪・パラリンピック採用競技のアスリートで構成。JOCエリートアカデミー時代から親交のある選手が中心となって発足し、新体操フェアリージャパン熨斗谷が初代幹事。2代目の西藤が仲間に呼び掛け、協力して規模拡大に努めている。トランポリン堺、体操内山、新体操の横田や皆川に、陸上中距離の田母神一喜や3月に引退した男子レスリング中村剛士ら。最近では自転車トラック種目女子オムニアムの世界女王、梶原悠未やフリースタイルスキー・モーグル男子の堀島行真も加わった。プロ野球選手やJリーガー、起業した元アスリートら多彩な顔ぶれ。