吉田愛&吉岡美帆リオ五輪後の人生経験が成長促した

<幻の20年夏>

1年後の風や波はまた大きく違うのかもしれない。最も自然と闘うスポーツであるセーリング競技。そのメダル候補でもある女子470級、吉田愛(39)吉岡美帆(29=ともにベネッセ)組は、16年リオデジャネイロ・オリンピック(五輪)後に経験した新たな人生とともに、そのチームワークを、この1年でより一層に磨き上げる。

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緊急事態宣言が出ている間、吉田は自宅で長男琉良(るい)君(3)を抱きながら、トレーニングを続けていた。「息子が生まれてから、すぐに活動を開始したので、なかなか1日、一緒にいる時間がなかった。せっかくだから、成長を見守ることを楽しみにした」。

リオ五輪が集大成と考えていた。しかし、13年に東京五輪が決まった時、「目指さないわけにはいかない」と熱い思いがほとばしった。年齢も考え、子供を授かるならリオ直後しかないと判断。17年6月29日に琉良君を出産した。

自ら公言する「完璧主義者」だ。朝から晩までセーリングのことを考え、思い通りにいかないと「その失敗を、なぜなんだろうと、ずっと引きずっていた」。セーリングは、人間ではどうすることもできない自然を相手にする。それなのに完璧を求めた。

琉良君が生まれて大きく変わった。子育ては「思い通りにいかなくて当たり前」。常に競技のことを考えてばかりはいられない。おかげで「オンとオフの切り替えが、自然とできるようになった」。海から上がると競技から離れ、子育てに没頭した。それが、心に余裕を与えた。

コンビを組む吉岡は、吉田より10歳若く、身長は16センチ高い177センチ。言葉が少ない控えめな性格。世界ランク1位を経験した吉田とは実績も違う。13年の女子の試乗会で出会ってから、吉田に対して吉岡は「遠慮の塊だった」という。リオ五輪の序盤では落水し「今でも時々、その夢を見る」ほど、ショックを味わった。

その吉岡は、吉田の産休中に変化を味わった。社業でフィリピンに語学留学。1人ですべてをこなさざるを得なく、競技では外国選手ともペアを組んだ。自分から何も言わなければ、何も変わらない。それを大きく実感した。

吉田が実戦に復帰した17年W杯蒲郡大会。吉田は「(吉岡が)大きく成長していて驚いた。自分の意見をすごく持っていた」。ペアが大きく成長した瞬間でもあった。それが18年世界選手権での日本女子初の金メダル獲得につながった。

東京五輪は1年延期されたが、2人に焦りはない。「計画を立て、やり直すだけ」と吉田が言えば、吉岡も「まだやれることはたくさんある」と頼もしい。地元江の島の風と波は、1年後、必ず2人の艇を世界への頂点に押し上げるに違いない。【吉松忠弘】

◆吉田愛(よしだ・あい)1980年(昭55)11月5日、相模原市生まれ。旧姓近藤。小1でヨットを始め、08年に鎌田奈緒子と組んだ「コンカマ」で世界ランキング1位。北京、ロンドン、リオデジャネイロと五輪3大会連続代表。最高位は16年リオ五輪の5位。日大卒。ポジションはスキッパー。161センチ、58キロ。

◆吉岡美帆(よしおか・みほ)1990年(平2)8月27日、広島市生まれ。芦屋高でヨットを始め、立命大を経て13年に吉田とペアを結成。同年世界選手権初出場で、10位に食い込んだ。ポジションはクルー。177センチ、70キロ。