巨人・小林誠司が語る…野村祐輔との「後悔の1球」 広陵07年夏の甲子園決勝

高校野球

巨人小林誠司捕手(32)の脳裏には、あの夏の衝撃がこびりついています。佐賀北が頂点に立ち、高校野球史に残る「がばい旋風」が巻き起こった07年夏の甲子園。広陵-佐賀北の決勝戦は、広陵のマスクをかぶった小林に非情な結果を突きつけました。 今でも焼き付く14年前の記憶をひもとき、当時を振り返りました。(2021年8月23日掲載。所属、年齢などは当時)

★アウトローへの「ベストピッチ」も判定は…

「あの経験は、あの時のグラウンドに立ってる人しかできないと思います。僕の野球人生にとって、すごく大きな試合。自分を強く、成長させてくれたと思います」

8回の攻防は、多くの人々の記憶に深く刻まれている。

広陵が4点リードで迎えたが、佐賀北の攻撃は1死から連打と四球で満塁。押し出し四球で3点差に迫られ、3番副島浩史に逆転の満塁本塁打を浴びた。

佐賀北・井手和馬への押し出し四球で捕手小林誠司はミットで地面をたたく。投手野村祐輔もガックリ=2007年8月22日

佐賀北・井手和馬への押し出し四球で捕手小林誠司はミットで地面をたたく。投手野村祐輔もガックリ=2007年8月22日

ドラマや漫画を超える劇的すぎる展開で試合は決したが、実は小林の記憶は、その1発の直後から飛んだ。

「あの瞬間、もう真っ白です。だから、打たれた後、全然覚えてなくて。ん~…、頭からドーンと突き落とされたような感じというか。言葉にするのは本当に難しいです」

その直前、18歳のバッテリーはすでに平常心を失っていた。1死満塁、3ボール1ストライクからの5球目だった。外角低めにこん身の直球を投げ込んだが、判定はボール。

小林はミットを3度地面にたたきつけ、野村祐輔はマウンド上で驚いた表情を浮かべた。

審判への抗議はご法度の高校野球で、試合後、中井哲之監督が「(選手を)守ってやらなくちゃいけない」と判定への不満をあえて口にしたほどコントロールされた1球だった。

2007年8月23日付の日刊スポーツ紙面

2007年8月23日付の日刊スポーツ紙面

★逆転満弾のスライダーは後悔なし

アウトローへの制球力は、野村が3年間、日々の練習で磨き上げた努力の結晶だった。押し出し四球の3球前もこん身の外角直球を投げたが、判定はボール。それでも、小林はそこにミットを構え、野村もしっかりと投げ込んだ。

「そこばっかり練習してきてたので。コントロールは一級品でしたから。あれが野村の投球。今でも、ベストピッチだったと思っています」

野村は自らの投球に徹し、ボールを受ける小林は抜群のコントロールを信じ続けた。バッテリーの中に、ゾーンを高めに上げる選択肢などなかった。

逆転満塁本塁打を浴びた1球にも、後悔はなかった。

カウント1-1からの3球目。選択したのは、スライダーだった。

副島浩史に満塁本塁打を打たれガックリする広陵・野村=2007年8月22日

副島浩史に満塁本塁打を打たれガックリする広陵・野村=2007年8月22日

「野村の一番、いいボールがスライダーでしたから。ああいう局面では信じるボールをと思った。逆に、副島君は狙ってたんでしょうね。ただ、狙ってても、打たれへんボールやと思ってましたから」と話した。

「でも…」と言って、言葉をのみ込んだ後、唯一の後悔を告白した。

兵庫県出身。報徳学園、関大を経て、2007年に日刊スポーツに入社。
野球部に配属され、同年12月までアマチュア野球担当、 2008年から11年まで1期目の巨人担当、2012~13年まで西武担当(2013年はWBC担当)、2014~16年まで2期目の巨人担当、 2017~18年までアマチュア野球担当、2019~20年まで3期目の巨人担当、2021年は遊軍、2022年からDeNA担当。
身長169・5センチ、体重58~63キロをいったりきたり。