脇本雄太(35=福井)がKEIRINグランプリ(GP)を含む、史上初となる全7冠制覇の「グランプリスラム」を達成した。同県寺崎浩平の2角7番手まくりに乗り、直線外を突き抜けて圧勝。18年8月いわき平G1オールスター制覇から約6年半での偉業達成となった。これで年末の「KEIRINグランプリ2025」出場も決定。2着には寺崎、3着には深谷知広が入った。

俳優の松平健(左)から花束を贈られ笑顔を見せる脇本雄太(撮影・上田博志)
俳優の松平健(左)から花束を贈られ笑顔を見せる脇本雄太(撮影・上田博志)

輪史に歴史を刻むとともに、新語まで生み出した。脇本が、6つ目のG1タイトルにGPを含む全7冠制覇の「グランプリスラム」を達成した。

3・4メートルという風速以上に感じられる爆風の中、寺崎が2角7番手から発進。一瞬離れそうになったものの、追い付く勢いで3角には外に持ち出し、直線一気に前人未到のゴールに飛び込んだ。「寺崎君を信じていた。どこから行っても付いていけるようにと思っていた。バックの向かい風がすごかったのに(寺崎は)すごく成長しているなと。腰の治療や練習不足があって今節は自信がなかったけど、近畿の仲間に助けられました」。喜びよりも先に感謝の言葉が口をついた。

優勝した脇本雄太(左)はガッツポーズで喜ぶ。右へ3着深谷知広、2着寺崎浩平(撮影・上田博志)
優勝した脇本雄太(左)はガッツポーズで喜ぶ。右へ3着深谷知広、2着寺崎浩平(撮影・上田博志)

G1初制覇の18年いわき平オールスターから6年半で、歴史的金字塔を打ち立てた。「(選手仲間は)もっと早くやるんじゃないかと言っていたけど、自分としては、ここまでは短く感じました」。先行、まくりで輪界を席巻しつつ、ナショナルチームのエースとして2度の五輪にも出場。1日たりとも無駄にしたことはない。充実し切っていたからこその本音だろう。

21年東京五輪の翌年に、拠点を伊豆から地元福井に戻したが「地元に戻ったからといって、自分自身は特に得るものはない。ナショナルで得られるだけ得てきたので」と言う。その上で「これからはそれを後輩につなげていきたいんです」と、新たなステージを見据えている。完治しない持病の腰痛と闘いながら、次は寺崎をはじめ、近畿の後輩を自分が見てきた世界に連れていく。【栗田文人】

優勝した脇本雄太は賞金ボードを掲げて笑顔を見せる(撮影・上田博志)
優勝した脇本雄太は賞金ボードを掲げて笑顔を見せる(撮影・上田博志)
優勝した脇本雄太は胴上げで祝福される(撮影・上田博志)
優勝した脇本雄太は胴上げで祝福される(撮影・上田博志)

◆脇本雄太(わきもと・ゆうた)1989年(平元)3月21日生まれ、福井市出身。科学技術高卒。競輪学校(現養成所)94期生として08年7月に福井でデビュー<1.1.(2)>。18年いわき平オールスターからG1・9勝、22年平塚GP優勝。自転車トラック種目で16年リオデジャネイロ、21年東京五輪出場。通算976戦410勝、通算獲得賞金は13億4096万4348円。180センチ、72キロ。血液型A。

 
 

◆グランプリスラム 日本選手権(ダービー)、高松宮記念杯、オールスター、全日本選抜、競輪祭、寛仁親王牌のG1・6タイトルを全て優勝するとグランドスラムとなり、井上茂徳、滝沢正光、神山雄一郎(以上引退)、新田祐大に続き脇本雄太が5人目。井上と滝沢はGPを制しているが、寛仁親王牌創設前のG1・5タイトル獲得で、合わせて6冠。22年平塚GPも制している脇本が全7冠制覇で、初めてのグランプリスラム達成となった。