競輪で長年にわたり“関東の総大将”として第一線を突き進んできた平原康多(42)が電撃引退することが22日、分かった。23日に日本競輪選手会の埼玉支部に選手手帳を返納する。現役S級S班の引退は過去に例がない。度重なる大けがと闘いながら昨年のG1日本選手権(いわき平)で「ダービー王」となったが、それから1年後、同じ日本選手権(名古屋)で限界を実感した。関東の後輩たちの成長も見届けた上で、SS班のまま、約23年間の現役生活に終止符を打つという異例の決断を下した。
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めったに感情をあらわにしない平原が感極まったシーンを私は3度見たことがある。最初が18年の静岡GP。最終2センターで落車した平原は、ひしゃげた車輪を何度も手で戻しながら、必死にゴールを目指した。自然に発生した「平原コール」はどんどん大きくなっていった。その間、4分強。2万人の声援に後押しされ、ボロボロのユニホームの平原は、涙をこらえながらゴール線にたどりついた。
私は、ファンが撮影したこのシーンをSNSで見つけ、平原に送った。平原は恩返しを誓ってこの画像をスマートフォンの待ち受けにしていた。
2度目は22年の西武園、ファン投票1位で選出されたG1オールスターだ。準決勝の落車で決勝には進めなかったが、欠場せずに満身創痍(そうい)の体で最終日の特別優秀戦を走った。意地の1着を飾ると、まるで優勝したかのような大歓声で迎えられた。ウイニングランの間は鳥肌が止まらなかったと言う。
最後は初のダービー王に輝いた昨年のG1日本選手権(平)だ。表彰式に登壇した平原の目に、号泣するファンの姿が飛び込んだ。どこにでも駆けつけ、いい時も悪い時も応援してくれたファンに恩返しができた。この時ばかりは平原の目から涙があふれ出た。
たとえけがをしていても、出待ちのファンにはできる限り対応した。「競輪」と「ファン」に対しては、どんな時でも誠実な男だった。【松井律】





















