引退セレモニーを行い場内1周で相模原サポーターの声援に応えるGK川口能活(2018年12月2日撮影)
引退セレモニーを行い場内1周で相模原サポーターの声援に応えるGK川口能活(2018年12月2日撮影)

日本を代表するGK川口能活(43=SC相模原)が2日、現役を引退した。日本がワールドカップ(W杯)初出場を果たした98年のフランス大会から4大会連続でW杯メンバーに選出された。日本がW杯への道をこじ開け、常連国へと階段を上る中、川口能活は代表チームの中にあった。

身長180センチは、2メートル超のGKも珍しくない中で、小柄の部類に入る。そのフィジカルでW杯では怪物ロナウド(ブラジル)、バティストゥータ(アルゼンチン)、アトランタオリンピック(五輪)ではロベカル、ベベトらと、真剣勝負の中でもまれてきた。日本の歴代GKでもトップ・オブ・トップのGKと言える。

クラブ最多1万2612人を集めたギオンスタジアムで、試合を終えたばかりのピッチに立つ。川口能活は思いのたけをマイクにぶつけた。

川口 43歳までサッカーができる体を授けてくれたお父さん、お母さん、サッカーに出会わせてくれた兄ちゃん…、どんな時でも笑顔で応援してくれた佳苗、りり、そうた、本当にありがとう。

家族席が用意されたスタジアム3階席は、真冬の底冷えを感じさせた。兄雄一さん(45=会社員)は、グランドコートを着込み「兄ちゃん」と叫んだ弟の声を聞いていた。傍らには父政昭さん(71)と母ひろ子さん(70)がいた。

引退セレモニーで家族と記念撮影する相模原GK川口(中央右)。中央左は兄雄一さん
引退セレモニーで家族と記念撮影する相模原GK川口(中央右)。中央左は兄雄一さん

川口は11月14日に、相模原市役所で現役引退の会見を行っている。そこで、そもそもGKをはじめたきっかけを聞かれ、当時を思い出したのか、言葉ひとつひとつをかみしめるように語り出した。

川口 僕には兄がいるんですけど、兄の勧めです。サッカーチームに入る前から熱心に指導してくれました。その兄とキャプテン翼の影響です。僕は翼君や日向君よりも、若林君や若嶋津君にあこがれました。兄には、発表する前に(引退のことを)伝えたんですけど、その時に兄は『寂しさが実感として沸いた』と話していました。その後に会った時も『お前は結果を出してきたんだから、次のステージでもお前らしく頑張れ』と言ってくれましたけど、まだやれるだろうとの悔しさもあったみたいです。

川口能活の出発点には、そんな背景があった。引退セレモニーでは、作者高橋陽一氏からイラストをプレゼントされ、兄雄一さんとは父母、佳苗夫人らとともに写真撮影に収まった。背中を押してくれた2つの大切な存在に見守られ、節目を生きた。

雄一さん 日本代表として活躍して、海外でも選手として戦ってきました。でも、私には能活がそうやって活躍している姿に現実味がなかったんです。私にとっては、高校サッカー選手権(第72回大会)決勝の国見戦(2○1)が一番印象に残っています。あの国見相手に、堂々と戦って頂点に立った能活が、何とも誇らしく、立派に見えました。でも、その後の能活の活躍は、私の想像を超えていました。実感として、感じることができないほど、ものすごいところへ行ってしまった、そういう気持ちでいました。

J3鹿児島戦の後半、好セーブを見せる相模原GK川口能活(左)(2018年12月2日撮影)
J3鹿児島戦の後半、好セーブを見せる相模原GK川口能活(左)(2018年12月2日撮影)

それでは今、ギオンスタジアムで最後まで雄々しく戦った川口能活を、どう感じているのか。

雄一さん 私の弟能活に戻った、そんな感じがします。一緒に、家の近くの神社の公園でボールを蹴っていた弟です。私を慕ってくれて…。兄の後を追う弟の姿って、よく見かけますよね。それと同じで、兄である私のまねをして、私がキーパーをやっていたから、能活も続けてくれたんだと思います。

川口が小学生5年の時、自宅が全焼する大変な被害に遭っていた。それからほどなくして、能活は中学へ。同時に雄一さんは高校へ進学するタイミングを迎える。当然、自宅が全焼したばかりで、家計は苦しかった。能活はサッカーの強豪校東海大一中を視野に入れていた。私立の学費については、家族で話し合う必要があった。

雄一さん 私は本当は工業高校に行きたかったんです。能活は東海大一中への進学を考えていたことは分かっていました。家族で話をしているうちに、流れの中で私は商業高校に進むことになったんです。

決して美談にするわけでもなく、雄一さんは丁寧に、淡々と話をしてくれた。ただ、その言葉の奥を感じると、能活が全力でサッカーに専念できるように、雄一さんは家族全体のことを考えて進路先を決めたことが伺えた。

最後に、雄一さんからは、長かった川口能活の現役生活を、家族はどんな思いで受けとめていたのか、その思いが込められた言葉が続いた。

雄一さん 思えば、能活は中学時代からずっと、遠征や試合などで忙しかったんです。すぐに年代別代表にも選ばれるようになって、海外遠征にも行くようになって、常に家を空けていました。そんな能活が、ようやく長い合宿を終えて戻ってきた、そんな感じがします。

師走の夕暮れ時が迫る。川口はまだ引退セレモニーの最中にあり、ファン、関係者にお礼のあいさつで、忙しくしていた。とても感傷に浸るどころではなかった。

そんな能活の姿を遠くに感じながら、雄一さんの言葉には実感がこもっていた。思い出していたのだろう、兄を慕って神社の公園について来てはGK練習に明け暮れていたかわいい弟の姿を。まだ現役を続けられたかもしれない弟の心中を思えば、兄も残念な思いはあるかもしれない。でも、世界と戦った自慢の弟がようやく家族の元に戻ってきた。そんな幸せをかみしめているようだった。

雄一さん 子供にサッカーを教えたいという希望があるようです。私も手伝えることがあれば、何でもしてやりたいです。

兄がいたから、弟はGKで代表にまで登り詰め、W杯で世界と戦った。終着点はJ3で迎え、大観衆の中で勝って終わった。その自慢の弟との大切な時間がまた訪れる。実直に話をしてくれた雄一さんの目は、時折わずかに潤み、やがてほおには笑みが広がった。【井上眞】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サッカー現場発」)

フランスW杯アジア最終予選・アジア第3代表決定戦のイラン戦で気合の入った表情を見せるGK川口能活(1997年11月16日)
フランスW杯アジア最終予選・アジア第3代表決定戦のイラン戦で気合の入った表情を見せるGK川口能活(1997年11月16日)