1993年(平5)5月15日にJリーグが産声を上げて30年。72年(昭47)にブラジルから来日したセルジオ越後氏(77)は、「草の根運動」で日本サッカーの発展に寄与した。日本代表を強くするため、選手育成と強化が主だった時代にあって25年間も全国各地でサッカー教室を続けた。普及活動に力を入れた。当時の思い出とともに、この先30年について語った。

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サッカーでご飯を食べるのが難しかった時代があった。私も現役を引退して、収入がなくなり、ブラジルに帰ろうとしたことがある。そこにサッカー教室の話が届いた。当時、日本のサッカー界は、強化に全神経を注いでいた。日本代表が強くなること、五輪に出場すること、W杯は夢のまた夢だった。プロリーグなんて頭の片隅にもなかった。

78年に全国の少年少女を相手に「さわやかサッカー教室」がスタートした。北海道の稚内から沖縄の宮古島まで、25年間、1000回以上実施し、50万人以上の子どもたちに出会った。子供が50万人集まることは、親や兄弟、家族、クラスメート、先生、関係者など、サッカーに触れる人はその4、5倍にもなる。

サッカーを経験したことのない親がほとんどで、サッカー教室に参加する子供たちの多くは、サッカー選手ではない。私は、トラップやドリブルなどの技術を見せたり、一緒にミニゲームをやりながら、できるだけ派手な技術を見せることを心掛けた。普段見たことのないテクニックに生で接することで、サッカーの魅力を感じてもらいたかった。

最初はサッカーのユニホームとスパイクを履いてくる子はほとんどいなかった。野球のユニホームに野球帽をかぶり、金属音のする野球のスパイクを履いてくる子もいた。開始は午前9時で昼休みを挟んで午後4時まで。多い時で1回1000人、少ない地域では50人が参加した。参加するための抽選に漏れた子供たちは、グラウンドの外で見守るだけ。私はその子たちにも声をかけて一緒にボールを追った。

その子供たちや兄弟、さらにその子たちの子供が今、Jリーグのスタンドを埋めている。Jリーグの試合を訪れると「セルジオさんのサッカー教室に参加したことあります」という人にたくさん会う。彼ら、彼女らはサッカー選手にはならなかったが、サッカーファミリーにはなってくれたわけだ。そういう声を聞くたびに「普及活動を25年も続けて良かった」と思う。

今は、サッカー協会が主導する全国規模のサッカー教室はない。普及は、全国に60あるJクラブに任せているのが現状だ。それぞれのクラブが地域密着を目指し、子供たちに触れ合い、さらにその中のエリート選手は各地域のトレセンやJ下部組織にジュニア、ジュニアユース、ユースチームに入れて強化していく。育成と強化。この両翼のバランスが、これからの30年のカギになるだろう。

(日刊スポーツ評論家)