MF原口元気(27=ハノーバー)が初出場のW杯で希望の1発を決めた。0-0で迎えたベルギー戦の後半3分、右足で先制弾。日本にとって3度目の挑戦で初となる決勝トーナメントでの得点をマーク。選手生命の危機すら感じた2月2日の脳振とうから、ちょうど5カ月の日に歴史に名を残した。4年後の22年カタール大会で8強に再挑戦する意向も表明した。

 W杯弾の喜びより、悔しさが先にきた。原口は試合直後、涙を流し「8強になれると信じていた。もっと前に進みたかったのに終わってしまった。最後は圧力に耐え切れなかった」。シャワーを浴びた後も最初の質問に13秒、沈黙し「(振り返るのは)難しいっす」と声を絞り出すのが精いっぱい。それでも、16年11月に「日本初」のW杯最終予選4戦連発を遂げて以来1年8カ月ぶりの得点。遠ざかっても信頼してくれた西野監督、そして仲間の期待に、再び「日本初」の決勝トーナメント弾で応えた。

 一時は赤い悪魔を慌てさせた。後半3分、MF柴崎のロングスルーパスにロングランで反応。右から中に切り返すフェイントから、右足を鋭く振った。名手クルトワの足元を射抜き、左サイドネットへ。ベンチ前で、歓喜の山の頂に持ち上げられた。「狙い通り。自分の良さが出た」。4年前から110メートル障害の日本記録保持者、筑波大・谷川准教授に師事し、100メートル走のトップ選手並みに硬く、接地時の強反発で速く走れる足首を生かした走法改善に取り組んできた。ドイツ移籍後、最も繰り返した練習も「50メートルをスプリントしてからの1対1」。W杯の準備が1発に凝縮された。

 ちょうど5カ月前は、選手生命の危機すら覚えた。2月2日のドイツ2部ザントハウゼン戦。空中戦で頭部をぶつけ、相手は頭蓋骨が折れた。原口は脳振とうの診断だったが、ホテルで10日間、一切の光を遮断した生活を余儀なくされた。「携帯電話の画面も見られない。本も読めない」。同時期には、同い年の元イングランド代表MFライアンが脳振とうで引退。自らと重なり背筋は凍ったが、プレーできるだけで幸せだと思った。「楽しもう」と決めたW杯で、光のない日々から光輝く存在になった。

 迎えた今大会。本職の左FWではなく右MFで3試合に先発。西野監督のコンバートに応えたが「思いっきり、好きな左で勝負したい思いは常にあった」と野心は捨てなかった。「右でも力を出し切れたし、チームとしても日に日に強くなった。日本が進むべき道を示せたんじゃないかと思います」。手応えを胸に、視線は4年後のカタール大会へ。「チャレンジしたい、壁は高いし、長いけど。でも、そこに向けて一生懸命」と口角を上げた。次の4年を引っ張れる主力に。大会後、ハノーバーの10番を背負って再出発する。【木下淳】