【ベルリン(ドイツ)=阿部健吾】偉大な“先輩”が日本の至宝を語った-。元ポルトガル代表で国際サッカー連盟(FIFA)の年間最優秀選手にも輝いたレジェンド、ルイス・フィーゴ氏(47)が18日までに、日本代表MF久保建英(18=マジョルカ)に言及。00年にバルセロナからRマドリードへ「禁断の移籍」をしたが、同じ経路を踏む新星に「バルサ時代を忘れろ」とエール。その素質を高く評価し、将来のRマドリードでのプレーにも太鼓判を押した。

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「オフコース(もちろん)」。フィーゴ氏は「Kubo」の名前が出ると、待ってましたとばかりに、その印象を語りだした。

「とてもスキルフルだね」。真っ先に口にしたのは、その技術力の高さ。現役時代は希代のドリブラーとして主にサイドで敵を切り裂き続けた。久保も主戦場はサイド。同じ180度の世界。そして敵を翻弄(ほんろう)する、卓越したテクニックを持つ。その姿が重なるのかもしれない。「才能はもちろんある。若いので、肉体面ではもっと強くなる必要はあるけどね」と指摘しながら、サムアップポーズした。

続いて直撃したのは、今でも禍根を残す禁断の移籍について。00年に5年間在籍したバルセロナからRマドリードへ移った。ご法度だったスペイン国内での最大のライバルクラブへ。6000万ユーロ(当時のレートで約86億円)の高額移籍金もあり、「守銭奴」としてバルサファンからなじられ、バルセロナで経営する日本料理店が襲撃される事件にもなった。

02年にはバルセロナのホーム、カンプノウで容赦ないブーイングも浴び、ペットボトルからビール瓶、ライター、ゴルフボール、豚の丸焼きの頭までが投げ入れられ、1度試合が中断する事件となった。

久保もユース時代を過ごしたバルセロナから、日本を経由してマドリードへ。そして、昨年12月のカンプノウでの試合ではサポーターからボールを持つ度にブーイングを浴びた。

フィーゴ氏は「まず、状況が違うね。彼は(バルセロナにいたのは)育成段階の話で、まだプロになってなかった。自分はもっと大きくなってから」と久保はラ・マシア(バルサの下部組織)時代のみしか過ごしていないことを説き、そして「言えることは『forget(忘れろ)』ってことだ」と続けた。

あえてバルサ時代を忘れること。18歳という年齢も考慮し、「私がその年齢の時はただただプレーすることが楽しくて、重圧なんて感じなかった。いまはとにかくトップでプレーする幸せを感じ、最高のプレーをし続けることだ」とエールを送った。

いまはマドリードからマジョルカに期限付き移籍しているが、「いつかは分からないが、マドリードでプレーする日も来るだろう」と見通しもした。盟友のジダンが監督を務めており、「彼は性格面でもプロフェッショナルを好む」とも述べた。

ベルリンでは、世界中でスポーツで社会貢献活動を展開するローレウス財団のメンバーとして、サッカー界、他競技の「レジェンド」たちと共演した。デルピエロ氏、カフー氏、プジョル氏などの超一流が顔をそろえた。

超一流に近づくには? 「とにかくサッカーに身をささげることだ。競技人生は短い。若くしてトップでプレーすることは得難いもの。とにかく楽しんでほしい」。最後まで温かい言葉を“日本の後輩”に送った。

 

◆ルイス・フィーゴ 1972年11月4日、ポルトガル・リスボン生まれ。11歳でスポルティング・リスボン入り。89年に16歳でデビュー。91年ワールドユース(現U-20ワールドカップ)で優勝し、同年10月12日のルクセンブルク戦でA代表デビュー。国際Aマッチ127試合32得点。04年欧州選手権後に1度代表から引退したが、その後復帰した。00年欧州最優秀選手賞、01年FIFA(国際サッカー連盟)年間最優秀選手賞。05年夏にRマドリードからインテルへ移籍。08-09年シーズン限りで現役引退した。