22日のWBA世界ミドル級タイトルマッチで悲願の王座を獲得したロンドン五輪金メダリストの村田諒太(31=帝拳)。その発言は常日頃から機知に富んでいる。

 競技を続けていく中で、何が一番怖いかと聞くと、「それはアイデンティティーを失うですね」と答える。五輪金メダリストとしての自分が壊れてしまう怖さ、それに向き合い、どう乗り越えていくかということが、プロに転向してからの試練だった。

 そして、その思考の中で、派生していく考えは実に面白い。「結局は、日本の教育が他人との比較になっているからだと思うんです」。存在に不安を覚えるのは、他者と比べるからだと言う。「例えば不倫とかでたたかれたりしますけど、自分より有名な人を落とし込める、そこに快感を覚えるのは、他人との関係で自分を決めているから」。それを「社会の閉塞(へいそく)性」と表現する。

 「他人が作るイメージが壊れるかどうかは、僕が操作できることじゃない」。最終的には、そう考えて進んできた。そしてさらに思う。「そんな社会におけるアスリートの役割はなんだろうか?」。

 この新たな問いかけを本人から聞いたとき、1人のアスリートが浮かんだ。フィギュアスケーターで4月に現役を引退した浅田真央さん。12年からソチ五輪を挟んで4年間に渡って取材する中で、彼女の強さと感じていたものが村田と共鳴した。

 他人と比べるのではなく、自分が出来ることに集中する。自分を超えていく。それに挑み続ける姿だ。浅田さんの口癖は「自分の出来る最高の演技」。得点で優劣がつくフィギュアスケートで、その確固たる意思は際立った。比較することで生まれるだろう嫉妬からも無縁だった。村田もそうだ。戦うのは、周りによる金メダリストのイメージに沿わせるためではない。自分を超えていくため。

 11年にスポーツ基本法が制定され、20年東京五輪・パラリンピックも控える日本。その中でアスリートの価値とは何か。2人の日本を代表するアスリートの残した姿や言葉は、大きな見本になると思う。【阿部健吾】