4日に閉幕したフィギュアスケートのグランプリ(GP)シリーズ第3戦フィンランド大会。その女子フリーで平昌冬季五輪(ピョンチャンオリンピック)6位入賞を果たした坂本花織(18=シスメックス)の意地が光った。ショートプログラム(SP)は7位と出遅れる悔し涙の演技。一夜明けたフリーでは得点源のフリップ-トーループの連続3回転ジャンプを成功させるなど、総合3位に滑り込む気持ちの強さを見せつけた。

フリーは日本時間4日午前1時過ぎ。名古屋市内でインターネットのライブ中継を見ていると、パソコンの画面いっぱいに広がった坂本のガッツポーズに、こちらも1人で笑ってしまった。現地ヘルシンキで取材する先輩記者からも「良かった。きれいだったよ」とメッセージが届く。第1戦スケートアメリカの2位と合わせ、シリーズ2戦の上位6人が進むGPファイナル(12月、カナダ・バンクーバー)進出にも希望を残した。

ちょうど1週間前の10月27日。午後7時半ごろから始まった全兵庫選手権(兵庫・尼崎スポーツの森)の女子SPには、制服姿の女子高生が10人以上集っていた。4日前に米国から帰国したばかりの坂本だが「自信をつけてフィンランドに行きたい。いい練習にもなる」という理由で、GPスケートアメリカ、全兵庫選手権、GPフィンランド大会と3週連続の試合出場を決断。その勇姿を見ようと、神戸野田高のクラスメートが集っていたのだ。

「かお(坂本)、お疲れ~!」

「かお、写真撮ろう!」

「かお、格好良かったで~!」

その数時間前は坂本自身が学校にいた。朝練を終え、夜の試合までの時間を使って文化祭に向かったのだ。クラスの担当はワッフル店。だが、坂本にはワッフルを焼く権利がなかった。

「試合とかがあって、事前の衛生検査を受けられていなかったんです…」

そう笑い、店の前に並んだ客の列を整理する役割を担った。

「すみませ~ん、あとワッフル10個で~す!」

「すみません、ここで(買えるのは)最後で~す!」

わずか1週間程度の日本滞在で、練習休みは文化祭翌日の28日のみ。その日も夜に全兵庫選手権フリーに出場するため、スケート靴は履くことになっていた。

「かお、次の試合いつなん?」

「フィンランドに行くけど、今日も夜に尼崎で大会に出んで!」

そんなやりとりがあり、一緒に文化祭を楽しんだ友人たちが、その足でリンクへと向かってくれたのだった。

「列の整理係しかできなかったんですけれど、楽しかったです。焼けないけれど、楽しめました!」

世界を転戦する多忙な立場ながら、「普通の高校生活」を忘れていないことが坂本の強みでもある。平昌五輪には友人らにもらった22個のお守りを全て持参するなど、注目を浴びても変わらない人柄がみんなに愛される。猛練習でくじけそうになっても、学校に行けばリフレッシュできる環境がある。そのサイクルで培った自信が、フィンランドでのフリーに出た。

坂本のフリーを見て一眠りし、私が向かったのは名古屋市ガイシプラザ。こちらでは12月の全日本選手権(大阪)の選考会となる、西日本選手権が行われていた。

夕方、坂本と同じ神戸野田高3年で、スケートも同門の籠谷歩未(17=神戸ク)が笑顔で立っていた。

「何とか全日本に行けて、良かったです」

西日本選手権から全国切符をつかむのはシード権を持った紀平梨花を除いた、上位11人。籠谷はSP15位と危険な立ち位置だった。

「昨日のショート(SP)が終わった後すぐ、かおちゃん(坂本)と2人で励まし合ったんです。同じような立場だったので、お互いメッセージを送りあって『フリー頑張ろう!』って」

表彰台へと駆け上がるパワーを、坂本は籠谷ら多くの友人からもらったことだろう。勝手にその源をたどると、普段から全てに全力な18歳の姿が思い浮かんだ。【松本航】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆松本航(まつもと・わたる)1991年(平3)3月17日、兵庫・宝塚市生まれ。武庫荘総合高、大体大とラグビー部に所属。13年10月に大阪本社へ入社し、プロ野球阪神担当。15年11月から西日本の五輪競技を担当し、18年平昌五輪では主にフィギュアスケートとショートトラックを取材。