W杯出場を決め笑顔を見せる篠山竜青(前列左から4人目)らバスケ男子日本代表の選手たち(2019年2月25日撮影)
W杯出場を決め笑顔を見せる篠山竜青(前列左から4人目)らバスケ男子日本代表の選手たち(2019年2月25日撮影)

熱い主将が、日本バスケを言葉の力で盛り上げる。男子日本代表の主将を務める篠山竜青(30=川崎ブレイブサンダース)は、あらゆる場面で同じ言葉を使う。「もっとバスケを盛り上げたい」。

リーグの試合後、W杯出場を決めた2月のカタール戦後のインタビュー、同帰国会見。「前に試合後の観客とのハイタッチで『また来てって言われたから来た』って言われて、だったら言わなきゃと」。言葉が持つ力を知る30歳は、プレーとの両面で日本を背負う。

バスケ少年だった93年、サッカーJリーグが華々しく開幕した。「子ども心に、サッカーがうらやましかった」。当時の日本バスケ界は実業団チームのみで、プロ化への動きは遅かった。男子代表はオリンピック(五輪)に76年モントリオール大会以来出場しておらず、「小学校の卒業文集に『プロバスケ選手』とは書けなくて、『バスケで飯が食えるようになりたい』と書いた」。周りのクラスメートが『Jリーガー』と書いていたことがうらやましかった。

バスケ界は16-17年シーズンにBリーグとしてプロ化が実現。篠山も同年、28歳で初めてトップの日本代表入りした。17年から始まったW杯アジア予選でいきなり4連敗と窮地に立たされても、主将として熱く声を出して、もり立ててきた。W杯出場が決まった2月のカタール戦では、体勢を崩しながらも利き手の左手一本で特大3点シュートのブザービーターを入れた。チームを加速させるきっかけにもなり、米大手スポーツ番組ESPNのその日のスポーツシーン1位にも選ばれた。「ダンクも派手なプレーもできない自分がこんな風に取り上げられるとは夢にも思わなかった」。

根底にあるのは、人を楽しませたいという思い。コートでは持ち味の激しいディフェンスでチームを鼓舞。川崎のチームメートの辻が息子の誕生日にヒーローインタビューに立った際には、ビジョンに息子を映すサプライズにも裏で手を回す。「どうすれば楽しませられるかを考えるのがおもしろくて」。バスケ選手になっていなかったら、東京ディズニーランド(TDL)の人気アトラクション「ジャングルクルーズの船長になりたい」と即答する。小型船にお客さんとともに乗り、船長の話しぶりとともにジャングルをめぐるアトラクション。「船長の話によって、楽しいかどうかが決まってきたりする。せりふを読むのではなくて、どういう言い回しなら面白くなるか、この客層ならこういう言い方かなとかそういうのを考えるのが楽しい」。天性のエンターテイナーはコート内外でも力を発揮する。

バスケ男子日本代表は自力では21年ぶりのW杯出場を決め、順調にいけば、3月末には開催国枠での東京五輪出場も決まる。「日本の夜明けです」。機運が高まる中、篠山はバスケを盛り上げる熱い思いを胸に前進する。【戸田月菜】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆篠山竜青(しのやま・りゅうせい)1988年(昭63)7月20日、横浜市生まれ。神奈川・榎ケ丘小3年の時に「榎ケ丘ファイターズ」で競技を始める。旭中を経て北陸高。高校3年時の全国高校選手権(ウインターカップ)で準優勝。日大から11年に東芝(現川崎)に入社。ポジションはポイントガード(PG)。178センチ、78キロ。家族は夫人と長男。

日本代表の篠山竜青(2018年6月29日撮影)
日本代表の篠山竜青(2018年6月29日撮影)