入江ゆき(27=自衛隊)は不屈の女王の誕生に何を感じただろうか。

レスリングの女子50キロ級決勝、マリア・スタドニク(31=アゼルバイジャン)は最終盤、大外刈りのように豪快に相手の足を刈ってなぎ倒し、テクニカルフォール勝ちでの優勝を決めた。マットを両手で思い切りたたき、10年ぶりの歓喜を爆発させた。

「今日は私の誕生日よ!」。いや、この世に生を受けたのは国際連盟の記録では98年6月3日。「初めて金メダルを取ったのが10年前だもの」。初の女王となって“10歳”の記念日だった。そもそも“生誕前”の08年北京五輪で19歳で銅メダリストとなったことが始まりだったが、09年大会で初の世界一となってから、この10年間は悔しさの連続だった。常に立ちはだかったのは日本だった。

12年ロンドン五輪は小原日登美に、16年リオデジャネイロ五輪では登坂絵莉に決勝で敗れて銀メダル。特に後者ではラスト数秒の争いで逆転を許し、表彰台ではずっとうつむく姿があった。世界選手権でも、11年2位、14年3位、15年2位、18年2位と頂点には届いていなかった。

この間、マット外で大きな変化があった。10年と13年大会は欠場している。それは出産のためだった。居住地のウクライナの家で待つのは2人の子供。「メダルより家族は大切よ」と、コーチでもある北京五輪銀メダリストの夫アンドレイさんのサポートも受けながら、気づけば30歳を超える年齢でも世界のトップで戦い続けてきた。そして、2人の母でもあるレスラーは、長い年月をへて頂点に返り咲いた。今も変わらない国際連盟の公式プロフィルの写真はおそらく10代か、20台前半か。現在の顔つきと比べると、当然あどけないのだが、見比べると逆に現在の顔つきが際だつ厳しい練習を重ね、傷を作り、その傷が治らないうちにまた傷を作り、そんな日々で形成される格闘家らしい、堅そうな顔だ。

この戴冠を入江はどう見ただろか。初出場した舞台。表彰台で東京五輪に内定できた決戦は、準々決勝で中国選手に敗れ、失意の結末となった。その翌日の決勝で見せたスタドニクの勇姿-。実は境遇は似ていないか。入江も日本の壁に跳ね返されてきた、国内で。ロンドン五輪、リオ五輪と常に2、3番手の位置を抜け出せず、代表にはなれなかった。ついに日本の頂点を極め、臨んだのが今大会だった。そして、跳ね返された。

「強いレスラーと戦えば戦うほど、私も強くなれる」「10年前とは私のレスリング自体は変わってないけど、強いて言えば精神面は違うかも。昔は感情的にハートを燃やして試合をしていた。いまは年も取り、頭を使っているわ」。優勝後にスタドニクが語った言葉は、そのまま入江の現在地にも重なる。何度も負け、それでもあきらめずに1つの壁を越えた。それが今大会の代表になることだった。

入江が5位以内の出場枠をとれず、女子50キロ級の代表争いは12月の全日本選手権で東京五輪代表争いは仕切り直しを迎える。優勝者が来年3月のアジア選手権で代表権に挑む。登坂、そして昨年の世界選手権でスタドニクを決勝で倒して2連覇を遂げた須崎優衣と、三つどもえの結果は神のみぞ知る。

もし、入江が再び勝ち抜くことがあるなら聞いてみたい。「スタドニクの戦いをどう見ていましたか?」と。【阿部健吾】

レスリング世界選手権 第4日 女子50㌔級準々決勝 入江ゆき対孫亜楠 準々決勝でスープレックスの大技を食らう入江ゆき(上)(2019年9月17日撮影)
レスリング世界選手権 第4日 女子50㌔級準々決勝 入江ゆき対孫亜楠 準々決勝でスープレックスの大技を食らう入江ゆき(上)(2019年9月17日撮影)
入江ゆき(2018年3月18日撮影)
入江ゆき(2018年3月18日撮影)