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飯塚翔太「国境関係ない」エスワティニ人と友情物語

吐く息は白い。1月下旬、寒空に包まれる東京・北区にあるナショナルトレーニングセンター(NTC)の陸上トラック。陸上男子短距離の飯塚翔太(28=ミズノ)の隣には見慣れない黒人選手がいた。ストレッチやジョギングなどで汗を流していた。

飯塚 純粋に彼と一緒に練習したかったのが一番なのですけど、東京オリンピック(五輪)へ向け、気持ち、モチベーションを高め合える。一緒に東京五輪を盛り上げたいですね。

ナショナルトレーニングセンターの門の前で笑顔の飯塚(左)とシブシソ・マツェンジワ
ナショナルトレーニングセンターの門の前で笑顔の飯塚(左)とシブシソ・マツェンジワ

その彼の名はシブシソ・マツェンジワ(31)。日本人にはなじみの薄いエスワティニという国の代表選手だ。人口約130万人のアフリカ大陸南部にある絶対王政が続く国から南アフリカ、エチオピア、韓国を経由し、約20時間をかけて14日夜に初来日した。このほど、ビザの申請が降りて、念願の日本での合同合宿が実現。成田エクスプレスに乗って都内に出ると、飯塚と合流。それからNTCへやってきた。

飯塚はシューズやバッグ、そして慣れない日本の寒さを心配し、ダウンなどの防寒具をマツェンジワにプレゼントした。それを手渡されたマツェンジワは、無邪気に笑った。「日本は寒いけど、これなら暖かい。大丈夫。本当にありがとう」。日本の滞在は約2週間で、食事や練習など一緒に行動する。19日からは1泊2日で飯塚の故郷・静岡も回った。東照宮から日本平の展望台へ。そして、オススメのそば店、すし店にも行った。小笠高の生徒と一緒にトレーニングもした。

飯塚(右)からプレゼントを受け取り、笑顔のシブシソ・マツェンジワ(撮影・上田悠太)
飯塚(右)からプレゼントを受け取り、笑顔のシブシソ・マツェンジワ(撮影・上田悠太)

2人の交流は、もう7年になる。事の発端は13年ユニバーシアード200メートル決勝。その待機場所で出会った。マツェンジワは当時すでに世界選手権2度、ロンドン五輪も出場した力を持ちながら、履いているスパイク、シューズのメーカーはバラバラ。聞くとスポンサーはおらず、しかも国内では、道具が買えないという。日本は恵まれているとは分かっていたが、衝撃だった。自分のシューズ、ウエアをプレゼントした。

交流は続く。それからマツェンジワは飯塚にもらったものを履き、練習、試合を重ねていた。大切にしていたが、使い続ければボロボロになる。だから飯塚は世界大会に、自分のもの以外の新しいスパイクやシューズなどを持参する。もちろん再会するマツェンジワに渡すためだ。

静岡・小笠高の生徒の前で話をする飯塚とシブシソ・マツェンジワ
静岡・小笠高の生徒の前で話をする飯塚とシブシソ・マツェンジワ

2年前の9月。飯塚はエスワティニにいた。目的はマツェンジワとの合同合宿。標高1000メートルを越える地で、スピード、心肺機能を磨いた。

同時に陸上の普及活動をすることも合宿の大きな意義だった。そこで出会った子どもたちは「日本の事を知っているのは半分ぐらい」。シューズではなく、はだしや革靴で走っている子もいた。そして才能の宝庫だった。「すぐ『競争しよう』と集まって、ワーとなりました。ものすごく足の速い子もいましたよ」。情熱にもあふれ、走る事も大好きだった。「国境とか関係ない。しゃべらなくても、走るだけ十分。走ることが言葉みたいに感じ」。すぐに仲良くなった。

ただ、そこには存在する課題もあった。指導者が圧倒的に不足していた。優秀なコーチは、待遇のいい海外へ流出してしまうという。子どもに適切に走り方を教える存在がいない。磨けば世界で輝けるダイヤモンドになるかもしれない逸材も、磨ける人がいなかった。才能が埋没していた。

マツェンジワはエスワティニでは有名人だ。一緒にいると、聞き付けた現地の新聞社からは取材を受けた。日本の育成方法、日本とエスワティニとの環境の違いなどを話すと、それが翌日の新聞記事に取り上げられた。またテレビ局から取材を受け、当日夜に生出演のオファーを受けた。2人でスタジオ出演し、英語で、思いを伝えた。チャンネルの数が少ないため「視聴率は80%くらい」という。外では声もかけられるようにもなり、反響は大きかった。

エスワティニのテレビに生出演する左から飯塚、シブシソ・マツェンジワ
エスワティニのテレビに生出演する左から飯塚、シブシソ・マツェンジワ

2人には共有する思いがある。マツェンジワは未来への思いがある。「将来は子どものコーチをやって、少しでも走ることの楽しさ、モチベーションを上げられるような活動をしたい。翔太と一緒にね」。エスワティニという途上国には、そもそもスポーツというそういう概念すら、浸透していないかもしれない。その中で、第一人者としての使命感を持っている。

飯塚は言う。「僕1人ではできないですけど、いろんな国の子どもたちが輝けるようなきっかけを作れたら。彼のように世界で活躍したアスリートが下の世代に学んだことを伝え、国に貢献するのが理想だと思う。今後も何かできたら」。だから豊田裕浩コーチも含め、トレーニングの助言、知識の伝授を惜しまない。スポーツを通じた国際交流の立派なモデルケースと言っていい。

日本では約1万3000キロも離れた国の選手との友情物語。それは国も言語も人種も宗教も越えて、未来への架け橋になっていく。【上田悠太】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

◆上田悠太(うえだ・ゆうた)1989年(平元)7月17日、千葉・市川市生まれ。明大を卒業後、14年に入社。芸能、サッカー担当を経て、16年秋から陸上など五輪種目を担当。18年平昌五輪はフリースタイルスキー、スノーボードを取材。

スポーツをこよなく愛する日刊スポーツの記者が、スポーツの醍醐味、勝負の厳しさ、時には心が和むようなエピソードなど、さまざまな話題を届けます。

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