バレーボールの元オリンピック(五輪)代表選手で、ビーチバレーボールに転向して4年目を迎えた石島雄介(36=トヨタ自動車)が27日、2度目の五輪出場に向け、揺るぎない決意を語った。

08年北京五輪のバレーボールでは、1勝もできず予選敗退。「北京があったからこそ、僕は今ここで五輪を目指して戦っている。今度は出るだけじゃダメ。成績にこだわらないと」。自身初、日本ビーチ界初のメダル獲得へ意欲を見せる。

東京の都心に新設されたビーチコート一帯で、愛称の「ゴッツ」コールが自然と湧き出てくる。27日に東京・渋谷区立宮下公園で行われた「RAIZIN CUP IN宮下パーク」に出場した石島らを一目見ようと、大勢の観客が集まった。

観客の声援に、石島はプレーで応えた。198センチの長身から繰り出される鋭いスパイク、ボールを頭上高くまで上げて放たれる強烈なサーブ、壁のように眼前にどっしり立つブロック。競った場面でファイプレーが決まると「ヨッシャー」と雄たけび。うまくレシーブできず失点すると、地面をたたいて悔しさをあらわにする。躍動感あふれるプレーは、インドア時代と変わらない。

普段は同じチームに所属する白鳥勝浩(43)とペアを組んでいるが、この日は試合機会を増やそうと個人参加。各試合でペアを入れ替えて、個人成績で順位を競った。4人で争われた決勝リーグでは1人全勝。今季初戦だった20日の千葉市長杯決勝で敗れた庄司憲右・倉坂正人組にも雪辱を果たし、大会の初代王者に輝いた。

17年にビーチへ転向後、インドア時代の勢いそのままにトップを駆け上がってきた。18年、19年ジャパンツアーファイナルで連続優勝、個人ランキングは1位になった。現在は2位に付け、ペアを組む白鳥は1位。チームランキングは堂々のトップで、五輪代表の筆頭格の1組に名を連ねるが、慢心はない。

石島は「インドアの時とは違って全部やらないといけないんで大変ですが、日々課題が出てくるのが逆に面白いんです。バレーボールを始めた中学のころみたいで、勉強の毎日です」。目を輝かせて話す口ぶりには、充実感が満ちていた。

36歳を迎えてもなお向上心を持って臨めるのは、北京五輪での雪辱を期す思いが強いからだ。予選を勝ち抜き当時16年ぶりに本大会出場できた経験は競技人生のハイライトだ。だが「あの時は出場権を得るだけでもハードルが高かった。オリンピックで勝つことを目指しているチームと差があった」と振り返る。1勝もできずに終えた当時の悔しさは、今も忘れることはない。

だからこそ、目標は高く険しく、あくまでメダル獲得にこだわる。ビーチ日本男子は96年アトランタ、08年北京、12年ロンドンの3大会に出場しているが、これまでメダル獲得できていない。08年朝日健太郎・白鳥組の9位が最高成績だ。

そんな状況でも、石島の信念は揺るがない。「他の人が無理だよ、難しいと言われることにも挑戦しなきゃ」。戦う舞台は変わっても、五輪に懸ける思いはひときわ強く、愛称通りゴッツかった。【平山連】(日刊スポーツ・コム/スポーツコラム「WeLoveSports」)

「RAIZIN CUP IN宮下パーク」女子の部で優勝した坂口・鈴木組と、男子の部(個人戦)で優勝した石島(左から)(撮影・平山連)
「RAIZIN CUP IN宮下パーク」女子の部で優勝した坂口・鈴木組と、男子の部(個人戦)で優勝した石島(左から)(撮影・平山連)