宮崎県を拠点に、全日本JSB1000クラスや鈴鹿8耐に参戦している「Team Kodama(チーム児玉)」。18年に同県出身の児玉勇太(37)が立ち上げたレーシングチームだ。バイク店やレーシングカンパニーを母体に持たない、純プライベートチーム。マシンの準備も自分自身で行っている。

鈴鹿8耐は初参戦の19年こそ24位だったものの、昨年は強豪に割って入って、9位フィニッシュ。JSB1000では20年以降、年間20位以内を保っている。プライベーターとしては出色の好位置だ。

記者が児玉と出会ったのは07年。当時、児玉は大阪の「DDBOYS」というチームから全日本や8耐に参戦しており、記者はチームに密着取材をしていた。

初々しいセカンドライダーだった若武者は、年月を経て、自分の軍を率いる将へと成長した。顔つきがまるで変わっていた。

若手の長尾健吾、菅原陸と組んだ今年の鈴鹿8耐。

予選は13位につけた。

1ケタフィニッシュが期待できる好位置だ。

午前11時半、決勝がスタート。序盤から順位を上げ、トップ10圏内の7~9位で、着実に周回を重ねていく。

中盤に差しかかっても、2分9~10秒台の安定したペース。しかし、157周目に悲劇が訪れた。西ストレートのあたりでまさかのガス欠。マシンを押してどうにかピットまでたどり着いたが、27位まで順位を落としてしまう。

さらに、残り約1時間20分となった18時過ぎ、激しい雨になる。だが、走行していた児玉はドライタイヤで走り切り、順位を上げていく。

最後は長尾にバトンタッチ。長尾も速さを見せて順位を上げ、22位でゴールした(2位チームが失格となり、最終順位は21位)。

児玉は「どれだけ入念に準備しても、予測できないことは起こり得る。ステップアップする過程では、避けて通れない試練。精いっぱい努力した結果なので、誰も責めるつもりはないし、むしろ誇りたい。最後の担当走行は、途中で雨になったが、経験上、雨用タイヤにしなくても大丈夫と判断した。今回の結果を、今後の糧にしたい」と今回のレースを振り返った。

たくさんの人々からの協力を受けて、走り続けるチーム児玉。2輪ロードレースの最高峰への参戦を通して、地元・宮崎のPRにも寄与している。これからの活動、活躍から目が離せない。

◆大津賢一(おおつ・けんいち)神奈川県秦野市出身、92年入社。整理部→電子メディア→整理部と内勤畑を渡り歩き、現在は報道部で釣り担当。幼少期から父親の影響で車好きに。学生時代にF1やルマン24時間レースなどをテレビ観戦し、その魅力に取りつかれる。94年からポッカ1000kmレースをほぼ毎年観戦。電子メディア時代には鈴鹿8耐取材や大阪の2輪レースチームの密着取材などを経験した。

(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

レース前日の夜、ピット作業の練習を行うチーム児玉のメンバーたち(撮影・大津賢一)
レース前日の夜、ピット作業の練習を行うチーム児玉のメンバーたち(撮影・大津賢一)
決勝で最初の出番を終えた児玉勇太(撮影・大津賢一)
決勝で最初の出番を終えた児玉勇太(撮影・大津賢一)
ピットアウトする児玉勇太(撮影・大津賢一)
ピットアウトする児玉勇太(撮影・大津賢一)
決勝で最初の出番を終えた菅原陸(撮影・大津賢一)
決勝で最初の出番を終えた菅原陸(撮影・大津賢一)
決勝で最初の出番を終えた長尾健吾(撮影・大津賢一)
決勝で最初の出番を終えた長尾健吾(撮影・大津賢一)
快走するチーム児玉のマシン。ライダーは菅原陸(撮影・大津賢一)
快走するチーム児玉のマシン。ライダーは菅原陸(撮影・大津賢一)
決勝で最後の出番を終えた児玉勇太(撮影・大津賢一)
決勝で最後の出番を終えた児玉勇太(撮影・大津賢一)