【虎のお家騒動④田淵幸一電撃トレード】午前1時30分、梅田のホテルに呼び出し…「何時だと思ってるんだ。非常識すぎる」

今年の阪神は騒がしい。矢野監督の退任表明に、開幕9連敗。過去にもいろいろありました。15年に掲載した大型連載「猛虎の80年」から衝撃の事件簿を復刻。第4回は「深夜の田淵トレード」です。(2015年2月26日掲載。所属、年齢などは当時。本文敬称略)

傑作選

松井清員

ファンが惜しむ大物放出も阪神80年の歴史で繰り返された。1963年(昭38)にはエース小山正明が山内一弘との「世紀のトレード」で大毎(現ロッテ)へ。75年には江夏豊も江本孟紀らとの交換で南海へ移った。そして78年オフ、主砲田淵幸一のトレードは「非情の通告」として語り継がれている。

◆田淵幸一(たぶち・こういち)1946年(昭21)9月24日生まれ、東京都豊島区出身。法政一から進んだ法大から、68年ドラフト1位で阪神入団。1年目に22本塁打で捕手初の新人王。75年、巨人王の14年連続本塁打王を阻み、初本塁打王。78年オフにトレードで西武移籍。82、83年の日本一に貢献し、83年正力松太郎賞。ベストナイン5度、ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデングラブ賞)2度。84年現役引退。90~92年ダイエー監督。その後は星野仙一氏が指揮した02~03年阪神、08年北京五輪日本代表、11~12年楽天でコーチを務めた。20年、野球殿堂入り。

兵庫・西宮市の田淵宅の電話が鳴ったのは、11月16日に日付が変わった0時半のこと。相手は球団社長の小津正次郎。深夜の西武行き通告だった。

★ドン・ブレイザー監督の意向

1時半に梅田のホテル阪神に呼び出された田淵は男泣きした。当時の日刊スポーツには無念の問答が掲載された。

──通告された心境は

田淵 今、何時だと思ってるんだ。こんな夜中にじっくり話し合えるわけがない。非常識すぎる。これがタイガースで10年やってきた者に対するやり方なのか。

──球団から経緯説明は

田淵 ブレイザーの構想に入っていない。根本監督はいい監督だから、西武で勉強しろということだった。阪神の無能をさらけ出している。オレを教育できなかったからほかへ出すと言っているようなもんだ。

──今更阪神に残れない

田淵 結局商品に過ぎない。使うだけ使ってポイと捨てる。修理を考えない。過去のトレードもみんなそう。ホント冷たい球団だ。

当時32歳。75年に巨人王貞治の14年連続を阻止して、初の本塁打王に輝くなど320発を放ち、人気も兼ね備えたスターだった。

だが腰痛など毎年故障に泣かされ、頭部死球の影響で邪飛に反応できないなど、全力疾走も厳しくなっていた。同僚だった川藤幸三(65=阪神OB会長)が明かす。

川藤 ブッちゃんは、腎臓も患っていて投薬治療の影響で太めになっていた。捕手の動きが鈍くなり、捕逸も目立った。そんな姿が「がんばれ !! タブチ君 !! 」の漫画に描かれたりもした。でもまさかチームの看板をトレードするなんて。

阪神から西武へトレードが決まり、取材を受ける

阪神から西武へトレードが決まり、取材を受ける

その年、チームは球団初の最下位。改革を旗印に就任した球団新社長小津と新監督ドン・ブレイザーは若手への切り替えを進めた。

一方、同年10月にクラウンを買収して福岡から所沢に移転した西武は、ファンを呼べるスターを望んでいた。

真夜中の通告を、小津は「伝えるのは早い方がいいと思った」と説明した。翌朝8時には、阪神一筋15年の古沢憲司も西武行きを通告される。

★「美しくやめたスターはおらん」

最後は法大の先輩で西武監督の根本陸夫が説き伏せ、田淵も了承。中堅ライン強化を望む阪神は真弓明信、若菜嘉晴、竹之内雅史、竹田和史を獲得し、2対4の交換が成立した。

川藤 その3年前に江夏さんが出され、江夏―田淵の黄金バッテリーがいなくなった。古くは藤村富美男さんの退団や、小山さんの移籍もそう。阪神はスターと上層部が摩擦を繰り返して、オフの主役だった。その後も掛布、バース、岡田、真弓と美しくやめたスターはおらん。ブッちゃんも阪神で優勝したかったと思う。反骨心で頑張ったと思う。

田淵は西武で一塁&指名打者に転向。主砲として82、83年の球団初優勝と連続日本一に貢献する。84年限りで引退したが、あと1年遅ければ阪神との日本シリーズが実現していた。

88年、阪神監督の村山実からコーチを要請されたが、退団の経緯もあり辞退した。再びタテジマに袖を通したのは02年。星野仙一を支える打撃コーチとしてで、深夜の通告から24年がたっていた。

○…阪神は田淵の西武移籍後、功績に配慮して背番号22を4年間空き番にした。82年になってドラフト1位の木戸克彦が継承。その後、関川浩一、中谷仁と捕手に渡り、さらに捕手経験のある野手の喜田剛、マイク・キンケードが受け継いだ。05年からは藤川球児、呉昇桓と守護神の代名詞となった。田淵以前の22は後藤次男や田宮謙次郎ら野手が多かった。田淵は阪神入団から西武で引退するまで16年間、22を背負い続けた。