【虎のお家騒動⑥清原和博に10年契約提示】「縦ジマを横ジマに」VS「僕の胸に飛び込んで」…キラーフレーズの応酬

今年の阪神は騒がしい。矢野監督の退任表明に、開幕9連敗。過去にもいろいろありました。15年に掲載した大型連載「猛虎の80年」から衝撃の事件簿を復刻。最終回の第6回は「タテジマをヨコジマに、清原に10年契約提示」です。(2015年2月28日掲載。所属、年齢などは当時。本文敬称略)

傑作選

松井清員

球界で一時代を築いた清原和博(47=野球評論家)は、現役を引退後、よくこんな思い出話をしていた。

清原 最初の条件は、阪神が10年で巨人は2年。年俸も約3倍だった。そのあと巨人は5年になったけど、条件は阪神が段違い。何より来てほしい思いが伝わった。あの時、ホンマに阪神に行こうと思ったんや。

★1996年11月15日 京王プラザホテル

阪神が西武からFA宣言した清原どりに動いたのは、1996年(平8)11月だった。最大のライバルは、清原が意中の巨人。

2年連続最下位に低迷し、新監督に吉田義男(81=日刊スポーツ客員評論家)を迎えた阪神は、球団だけでなく、本社も挙げて獲得態勢を敷いた。当時球団社長の三好一彦(84)が振り返る。

三好 95年の阪神淡路大震災で、新在家の車庫がつぶれたり、6月末まで全線開通しなかったり、電鉄の本業が大きなダメージを受けました。当然タイガースに回すお金はない。ようやく復興の足場が固まり、チームを強くしようと機運が高まった時期でした。ただ久万オーナーは育成重視で、チームにお金をかけない方針。でも戦力プラスに加えて、経済効果、集客力が見込める値打ちある補強だと進言して「いけ」となりました。

球団本部長だった西山和良は当時「清原君には交渉解禁の11月12日、午前0時ちょうどに電話を入れました」と胸を張った。

清原も「阪神が一番に来た」と喜んだ。そして15日、東京・新宿の京王プラザホテル。三好と西山を交え、清原と初の対面交渉に臨んだ。

吉田が熱い思いをぶつけた。

吉田 (1年目に)7億円必要と言われましたが、久万さんも金庫を開けてくれた。「ユニホームの縦ジマを、横ジマに変えてでもほしい」。低迷するチームを常勝軍団に変えるために、縦を横にしないといけないほどの大改革。それぐらいの意気込みだと伝えました。

★巻き返す巨人 次々と切り札

この口説き文句には「伝統のユニホームを変えるとは何ごとだ ! 」と球団に苦情が殺到した。だが清原は「熱意で汗が出た」と感激。直前の巨人との初交渉でドラフト時の謝罪がなかったばかりか「来たければどうぞ的な扱い」にショックを受けており、逆転阪神入りの期待が膨らんだ。

三好 すぐ巨人に決まるのかなと思っていたら、巨人の動きもよくなかった。こちらは感触が良かったし、期待して返事を待ちました。でも、巨人も「阪神に取られたらエライこっちゃ」となったんですかね。そこから本気の攻勢に出た印象です。

巨人は20日、監督の長嶋茂雄が2度目のFA交渉で初出馬。「思い切って僕の胸に飛び込んで来てほしい」と口説き、球団代表がドラフト時の謝罪もして清原の心を一気に氷解させた。

巨人入団会見で長嶋監督と握手=1996年11月24日

巨人入団会見で長嶋監督と握手=1996年11月24日

阪神は清原から電話で断りを受けた上で、22日に大阪・梅田のホテル阪神で第2回交渉を持ち、正式に巨人入りを伝えられた。清原はその話題に言葉をつないだ。

清原 最後は子どものころからの夢を選ばせてもらって、阪神さんには本当に申し訳ない思いでした。吉田監督から「タテジマをヨコジマに」とまで言ってもらった感謝は忘れません。

吉田 グラっときていたし、巨人の赤じゅうたんより、虎を変えるいばらの道を決断してくれると思ったんですが…。でも非常に純粋というか、好青年の印象でした。当時のタイガースは軸がなかったので、彼が来ていれば当然4番ですよ。清原中心のチームをつくって、桧山と新庄で骨格を固める。長い低迷を打破して、歴史も変わっていたんじゃないですか。