英王室ゴシップ史&家系図。エリザベス女王在位70年分の愛憎。ダイアナ、メーガンなどなど

英国王室といえばゴシップ、と連想してしまう人は多いのではないでしょうか。御年96歳のエリザベス2世。1952年(日本的に言うと昭和27年)に女王に即位。在位70年(!)の間に、あんなゴシップこんなゴシップを“見守って”きました。余計なお世話ですが、愛すべき英王室のゴシップ史をまとめてみました。特製家系図も合わせてご覧下さい。

ストーリーズ

文・相原斎、グラフィック山本遙香

タブロイド紙のスクープ合戦 寝室侵入 電話盗聴

今年で在位70年の英エリザベス女王(96)は75年に1度だけ来日している。鉄柵の設営や警察官の多さに「これは誰のための警備ですか」と、まるでひとごとのように尋ねたエピソードが記憶に残っている。その7年後の1983年には、「女王のファン」を自称する男が2度にわたってバッキンガム宮殿に侵入。2度目は寝室にまで入り込んで女王と会話を交わすという事件が英タブロイド紙で詳報された。警備やプライバシーに関わる感覚は、日本の皇室とはかなりの違いがあることが分かる。

「宮内記者会」の無い英国では、「大衆紙」と言われるタブロイド紙がダイレクトに王室メンバーやスタッフに接触し、スクープ合戦を繰り広げている。

↓英王室ゴシップ家系図↓その後にも記事は続きます

身近に仕える従者の携帯電話を盗聴して編集者が逮捕される事件(07年)も起きているが、一方で、最大手「ザ・サン」で歴40年のアーサー・エドワーズ氏のようにダイアナ妃からファーストネームで呼ばれたカメラマンもいる。

メディアと王室の距離は想像以上に近いようで、その分報じられるゴシップは生々しい。

チャールズ皇太子の初スキャンダルは15歳の時。スコットランド・ルイス島への修学旅行中に、地元のパブで「チェリー・ブランデー」を注文したところを記者に目撃され、大々的に報じられた。

決して褒められた話ではないが、背伸びしたい年頃には、ありがちなエピソードと言ってもいいだろう。この「事件」に懲りたのか、次男ヘンリー王子の「16歳の喫煙現場」が紙面に載ると、即座に「厳罰」を科している。薬物治療のリハビリ施設訪問を命じたのだ。王子はニコチンより数段重い、深刻な中毒症状を目の当たりにすることになり、この様子もタブロイド紙で詳しく伝えられた。

実際に「犯罪歴」が付いてしまったのがアン王女だ。2002年に飼い犬のイングリッシュ・ブル・テリア「ドッティ」が居合わせた2人の子どもに襲いかかったため、出廷を求められた上に、罰金を科されている。ドッティは女王の愛犬(コーギー)にもかみついたことがあり、気性が荒いという。

1992年のチャールズ皇太子とダイアナ妃の離婚を巡るゴシップ合戦はし烈を極めた。皇太子側では「浮気相手」カミラさん(現コーンウォール公爵夫人)との親密な会話が、妃側では友人男性との不倫をにおわせるやりとりが、ともに「電話盗聴」され、王室メンバーならずとも顔を赤らめるような睦言がそのまま紙面に掲載された。

皇太子側は沈黙を守り、ダイアナ妃は取材に応じて一部事実を認めている。明らかに行き過ぎの取材にさらされながら、時として記者たちに向き合った妃の姿勢はメディアにも国民にも愛された一因と言えるかもしれない。

昨年1月に王室離脱したヘンリー王子・メーガン妃夫妻は対照的に沈黙することも記者に向き合うこともしなかった。英メディアの厳しい目は、米国出身のメーガン妃には「敵視」と映り、王室内からの意図的なリークも疑ったのだろう。王室とは縁の無いの米番組の名物司会者オブラ・ウィンフリーのインタビューを受けて「王室内のいじめ」を暴露することになった。米国内では伝統に立ち向かう姿が好意的に受け止められたが、英国内ではダイアナ妃とは対照的に「わがままキャラ」のイメージが定着しているようだ。

~~ほかにもあります英王室のゴシップ~~

◆未成年の少女と… エリザベス女王の次男アンドリュー王子は1982年のフォークランド紛争に海軍のヘリコプターパイロットとして従軍するなどの軍歴があるが、1996年にセーラ妃と離婚して以降は不名誉なニュースで騒がせている。2014年には、米フロリダ州の裁判所に未成年の少女と性的関係を持ったとして訴状が提出された。英王室はこの事実を否定したが、今年1月になって米連邦地裁が王子の審理却下請求を無効とした。これを受けて王子は軍の名誉職などの公的地位を女王に返上している。

◆つま先を… セーラ妃は米テキサスの大富豪との交際が1992年に報じられている。タブロイド紙に掲載された写真は、不鮮明ながら、この大富豪が妃のつま先を吸っているように見えて話題になった。アンドリュー王子とは1996年に離婚。

◆ダイアナ妃の本命は… ダイアナ妃は1997年8月30日、滞在先のパリでパパラッチらの追跡を受け、乗っていた車が中央分離帯のコンクリートに激突して亡くなった。交際が伝えられていたエジプト人の映画プロデューサー、ドディ・アルファイドが同乗していたが、当時の本命はパキスタン人の心臓外科医ハスナット・カーンだったと後に伝えられた。

◆冷え切った夫婦関係… ダイアナ妃が次男ヘンリー王子を産んだ84年以降、チャールズ皇太子との仲は冷えきっており、事実上の別居状態が続いた。カミラさんとの長年の関係が明らかになった皇太子は非難の的で、夫妻の住まいとなっていたケンジントン宮殿を皇太子が出る形となった。妃側でも不倫相手の元騎兵隊連隊将校が暴露本を発表したが、妃が「(暴露には)打ちのめされたが、その正直さはたたえたい」と語り、その潔さで逆に人気を高める結果となった。

◆離婚レターの主は… チャールス皇太子・ダイアナ妃夫妻それぞれに手紙を送り、離婚を促したのは実はエリザベス女王だった。離婚後も妃(プリンス・オブ・ウェールズ)の称号を維持すること、ケンジントン宮殿に住み続けるなど、妃側の要望がほぼ認められた。

◆97歳で四駆を… エリザベス女王の夫、故フィリップ殿下が四輪駆動車を運転中に事故に巻き込まれたのは97歳の時。運転手側を下に横転した状態だったが、けがは無かった。公務の方は2011年に90歳になったのを機に退いていたが、周囲の心配をよそにその後も大好きな運転をやめなかった。事故の3週間後、殿下は自主的に運転免許証を返納している。

★★エリザベス1世と2世★★現女王はエリザベス2世です。日本的な「2世」とはニュアンスが異なり、史上2番目のエリザベスという意味。1世はさかのぼること400年、テューダー朝時代にグロリアーナ(栄光ある人)と呼ばれ「武闘派」として知られた。スペインの無敵艦隊を破るなど、勇ましい活躍。ザ・バージン・クイーンの別名通り、テューダー朝はこの1世で終わる。以後、スチュアート朝、清教徒革命による共和国時代をはさむ王政復古、ハノーヴァー朝、そして現在のウィンザー朝に至る。血縁はなく、生き方も対照的な2人のエリザベスだが「英国史上もっとも偉大な2人の君主」と言われている。