速報記事一覧へ スコア速報一覧へ スポーツカレンダーへ

nikkansports.com・ホームへ

共通ナビゲーションを飛ばす。ページメニューへ MLB | PDF号外 | プレゼント | 占い | 映像 | 新聞購読
0
googleの検索機能
nikkansports.com・ホームへ
ページメニューを飛ばす。コンテンツへ
TV全国番組表

click here!
芸能TOP
シネマ
占い
インタビュー
イベント/チケット
黛まどか
TV全国番組表
メーンメニュー
・ 野球 ・ サッカー
・ スポーツ ・ バトル
・ 競馬 ・ 芸能
・ 社会 ・ 釣り
ページトップへ
芸能タイトル

  インタビュー<日曜日のヒーロー>
日刊スポーツ(東京本社発行分)のバックナンバーを
希望される方は→こちらをご覧ください
第438回    徳重聡  
2004.11.07付紙面より

徳重聡
写真= 取材を終えた私たちがエレベーターに乗り込むときだった。「今日はありがとうございました」。見送りに来た徳重はそう言うと、両手を真っすぐヒザまで伸ばし、深々と頭を下げる。しっかりとしたあいさつに、驚いた。儀が軽んじられている昨今、大看板の影を背負って生きる若者が見せた古風な一面。これも彼の格好良さだと思う。時代が変わっても、古き良き「昭和」を体現して欲しいです。
(撮影・鈴木豊)

「21世紀の裕次郎」から4年、逃避と闘いの日々

 かつてこれほどの宿命を背負わされた俳優がいただろうか−。徳重聡(26)。新人発掘オーディション「21世紀の石原裕次郎を探せ!」でグランプリを獲得して4年。スーパースターの看板を背負った若者にとっては「石原裕次郎」からの逃避と闘いの日々だった。裕次郎さんを演じたテレビ朝日のドラマ「弟」(17日から5夜連続放送)を経た今、ようやく「前を向けるようになった」と言えた。


「何でオレが…」

 希代のスーパースターの名を冠したオーディション「21世紀の石原裕次郎を探せ!」。審査員の1人、ビートたけし(57)でさえ「むちゃな企画。野生のトキや徳川埋蔵金を探すようなもの」とあきれたほどの企画だった。スーパースターは二度と生まれないからそう呼ばれる。そんな常識を破れと言われた男が、徳重だ。

 00年8月7日、都内で行われた最終選考審査会。グランプリが決まった瞬間、視線が宙に泳いだ。「何でオレが…」。俳優になるつもりはなかった。望まない栄冠。握りしめたトロフィーは上下逆さまだった。

 あれから4年。目の前の徳重の澄んだ瞳は、間違いなく輝いていた。放送を目前に控えたテレビ朝日の大型ドラマ「弟」では、裕次郎さんの青年期を演じた。

 「カメラの前に立って、裕次郎さんがかつて言った言葉をセリフとして口にする。共演者の方々と演技して、こうして裕次郎さんは生きてきたんだなと感じられた。あらためてその存在のすごさを知りました」。


不思議な幸福感

 撮影は今年2月、北海道・小樽で始まった。日活の映画俳優として行き詰まりを感じた裕次郎さんが、故郷の海岸で自分を見つめ直す場面。幼いころの自分が目の前に浮かび上がる。表情としぐさで複雑な感情を表すシーンだった。吹雪の中、砂浜の上で徳重は不思議な感覚にとらわれた。

 「自分にとってファーストカットでした。なぜか、ものすごく寂しい気持ちが心に浮かんできたんです。あれだけすごかった裕次郎さんでも悩み、もがいて生きてきたんだなという感情が自然に入ってきた。そういうことを一瞬にして感じられたことが不思議で幸せでした」。

 時を超え、2人の「裕次郎」が結びついた。映像をモニターで見た若松節朗監督も「いい表情をしてる」と大きくうなずいた。


「手紙」課題3行

 もともと裕次郎さんがどれほどのスターかさえ知らなかった。俳優になることなど、望んでいなかった。

 グランプリ獲得者は、賞金と石原プロの契約金を合わせた1億円と、映画・ドラマでの俳優デビューが約束されていた。応募は推薦者が必要だった。徳重を推薦したのは同い年のいとこの女性。徳重は当時、立正大4年生。小学校からサッカーを始め、静岡市立高時代に小野伸二率いる清水商高と対戦した経験もあった。大学はサッカー推薦で進学。Jリーガーを目指した時期もあった。芸能界への興味はゼロ。いとこの応募を聞いても「何それ?」と無関心だった。

 「受かるなんて思いませんから。書類選考が通ったと聞いても『あ、そう』という感じでした」。

 応募総数は5万2005人。書類選考で700人に絞られた。第2次選考が、全国各都市で行われた。気乗りしないまま「記念に」と会場の一流ホテルへ。

 「ホテルに行ったことないわけですよ。田舎っぺってやつです。一体どこに行けばいいのかさっぱり分からない。あちこち聞いて、腕時計を見たら1〜2分過ぎてた。こりゃ1分も1時間も、遅刻には変わらんぞと足を止めました」。

 ふとティーラウンジに向かった。

 「少し考えようと。どうする、オレ? みたいな状態ですよ(笑い)」。

 タバコをふかしていると考えがまとまった。

 「やっぱり記念に行ってみるかって」。

 40分が過ぎていた。大遅刻の理由をきかれた。おおらかすぎるその行動は、正直に話しても、信じてもらえなかった。裕次郎さんに向けた「手紙」を書く課題で書いたのはたった3行。

 『初めまして、徳重聡です。僕はあなたのことをまったく知りません。もし選ばれたら、あなたを超えてみたいと思います』

 「もう開き直ってましたから。今考えるとさっぱりなこと書いてましたね」。


無気力で軍団へ

 審査は2、3次と合格。最終10人に残っていた。

 「疑いました。もうだれかに決まっているんだろうって。だれだよ、一生懸命やっているフリをしているのはって(笑い)」。

 大詰めを迎えても、欲はなかった。自動車メーカーの就職試験も受けていた。

 最終審査。あっけなく運命は決まった。気が付くと受賞インタビュー。隣りに渡哲也(62)がいた。目は泳いでいた。当日夜は、用意されたホテルに宿泊。

 「何が何だか分からないまま一晩過ごしました。考えすぎて、40度を超える熱が出ちゃって。この年で知恵熱ですよ」。

 覚悟が決まらないまま石原プロに入社。10日後には仲間5人と合宿生活に。発声、話法、歌唱、ダンスのレッスン、体力トレーニングが毎日続いた。オートバイや大型自動車の免許や船舶免許の取得も課された。

 「オレは意欲なし。でもみんなどん欲だった。驚きました」。

 合宿を終えて、3カ月の完全オフをもらった。

 「本当に何もしなかった。ものすごく、あれこれ考えました。結局やるしかないなと。今考えると、あの時間は、1人でじっくり考えてみろということだったんですかね」。


キリマンジャロ

 それでも「石原裕次郎」からは逃げ続けた。裕次郎さんの生涯をつづった本2冊を手渡されたが、開きもせず、押し入れに。会社に張られた裕次郎さんのポスターや写真には、目を向けるのも嫌だった。映画好きだったが裕次郎さんの主演映画は一切見なかった。

 昨年、裕次郎さんの十七回忌に合わせて制作された特別番組の収録でケニア奥地を訪れた。裕次郎さんがかつて製作した映画「栄光への5000キロ」の撮影地を紹介する企画だった。

 「かなり昔、こんな不便な場所で映画を撮るなんて、何てすごいことをした人なんだと。両手を広げてケニアの大地を守っているように見えたキリマンジャロの山が、裕次郎さんにだぶって見えた。温かいけど、どこか怖い。存在がどんどん大きくなってきた」。

 「弟」出演はその後、正式に決まった。

 「いつか裕次郎さんを演じる時は来るかなと予感はしていましたが、実際に決まるまで逃げていました。でも決まった以上はやってやると覚悟しました」。

 押し入れからあの本を取り出した。それと別に4冊買った。「弟」の原作小説も読み込んだ。

 「想像通り、とてつもない人でした。それでも普通の人なら味わうことのないつらいこともあったと知りました。実は人間として、ものすごく不器用な方だなと感じました」。

 「弟」の撮影を終えると、あれだけ避けてきた存在が少しだけ身近になった。

 「こんなにすごい人がいたんだと自分が伝えられる喜びを感じます。俳優という仕事を好きになったのかな。顔を見るのもつらかった裕次郎さんを、ちらっと見るぐらいはできるようになったかな」。

 「弟」に続き、渡と共演した映画「レディ・ジョーカー」も12月11日から公開される。俳優として本格的なスタートを切った。

 思えば、裕次郎さんも、俳優になる気なんてなかった。偶然出演した映画で脚光を浴びた。たぐいまれな魅力の持ち主だったが、自分の意志とは関係なく、時代の後押しがスーパースターの座に押し上げていった。徳重の4年間が、そんな裕次郎さんのわだちと少しだけだぶってみえた。


アップを撮りたい男

 ドラマ「弟」の若松節朗監督 とにかく目の力が強い。鋭く、引き込まれそうな目。思わずアップを撮りたくなる男です。ナイーブな心情の表現は自然にできるタイプですが、欲を言えば、明るい部分をもっと出せるようになれば、もっといい俳優になると思う。


原石として光るもの

 映画「レディ・ジョーカー」の平山秀幸監督 脚本も演技も「まず自分で考える癖をつけろ」と言いました。素直に受け止め、取り組んでくれました。原石として光るものを持ってます。俳優としてスケールもあるので、堂々とした演技を磨いてほしい。


 ◆「弟」 96年に幻冬舎から出版された石原慎太郎原作の同名私小説のドラマ化。徳重をはじめ渡哲也、高島礼子、長瀬智也、仲間由紀恵、松坂慶子、坂口憲二、大杉漣、東幹久、池内淳子、加藤あい、三浦友和らが出演。17日から5夜連続午後9時


 ◆徳重聡(とくしげ・さとし) 本名同じ。1978年(昭和53年)7月28日、静岡県生まれ。00年、石原プロ入り。02年に大塚製薬「オロナミンC」のCMに出演。04年10月にテレビ朝日のドラマ「西部警察スペシャル」で俳優デビュー。高村薫原作の人気小説の映画化「レディ・ジョーカー」(平山秀幸監督、12月11日公開)で映画デビュー。187センチ、78キロ。血液型A。趣味はビリヤード。


(取材・松田秀彦)

前のページへ戻る このページの先頭へ
ニッカン倶楽部広告ガイド会社案内このサイトについて問い合わせ
  nikkansports.comに掲載の記事・写真・カット等の転載を禁じます。
  すべての著作権は日刊スポーツ新聞社に帰属します。
  
野球ページへ サッカーページへ スポーツページへ バトルページへ 競馬ページへ 芸能ページへ 社会ページへ 釣りページへ