北京五輪カーリング女子で日本初の銀メダルを獲得した日本代表ロコ・ソラーレの本橋麻里代表理事(35)が21日、オンライン会見に臨んだ。

激闘を終えた選手たちにねぎらいの言葉を送るとともに、視線はすでに、4年後のミラノ・コルティナダンペッツォ大会や、その先にある札幌市が開催を目指す30年大会以降へと向いている。

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銀メダル獲得から一夜明けると、マリリンの気持ちは早くも切り替わりつつあった。五輪期間中も日本に残って戦況を見守っていたことから、「みんなよりも実感が薄いのかな」と笑いつつ、18年に一般社団法人ロコ・ソラーレを設立した経営者の視線でこう話す。

本橋 喜びが半分と、次に向けてどうしようかという思いが半分ずつ。昨日は喜びに浸っていたけれど、今朝起きたら、法人としても選手としても、何をするべきかを考えている時間に入った。一母親として、カーリングやロコを通じて、どうすれば子どもたちの胸をときめかせる瞬間を作れるかを土台に考えていきたい。

以前の国際大会では上位チームと下位チームの実力差が大きかった。しかし現在は実力伯仲。うかうかしていては、たちまち取り残されてしまう。

本橋 組織力を上げていかないと。他国を見ていてそう感じた。ここでいう組織というのは、私たちの一般社団法人ロコ・ソラーレもそうだし、日本カーリング協会もそう。喜ぶ先に次に何をすべきか、それを考えていくためのスイッチを早めに入れないと。そう思うと焦りを感じる。

30年冬季五輪には、札幌市が開催地に名乗りを上げている。

本橋 ぶっちゃけていえば、札幌よりも、次のミラノ・コルティナを落とすと、日本としてはヤバイなと。そこを落とすと、次に(開催地として出場できたとしても)こてんぱんにやられてしまう。法人としては、選手を送り出せるようにバックアップ体制を整えたい。

北京五輪決勝で英国に敗れたあと、藤沢は「自分に対して『またこの決勝の舞台に帰ってこい』と言いたい」とリベンジを誓った。4年後へ、さらにはその先へ。ロコ・ソラーレの挑戦は果てなく続く。【奥岡幹浩】

◆ロコ・ソラーレ 18年8月にチームの運営母体となる一般社団法人ロコ・ソラーレを設立し、本橋麻里が代表理事に就任。チーム登録名をLS北見からロコ・ソラーレに変更した。同年11月には育成チーム「ロコ・ステラ」を結成。

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