羽生結弦(27=ANA)の94年ぶり3連覇は夢と消えた。

ショートプログラム(SP)8位で迎えた決戦の冒頭、前人未到のクワッドアクセル(4回転半ジャンプ)に挑戦。転倒はしたが、回転不足の判定ながら国際スケート連盟(ISU)から初の認定を受けた。

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14年ソチ、18年平昌大会を2連覇した男の3度目の五輪は4位。初のメダルなしを悔しがるが、新たな歴史の1ページは開いた。188・06点の合計283・21点。今後については「考えさせて」と明言を避けた。

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羽生が恐怖に立ち向かった。開始20秒、4回転半。「絶対アクセル降りる、回り切る」。昨年より助走を長くし、未体験の速度で回った。転んだ。場内に響く「あぁ」。しかし、右足だけで降りた。ずっと両足だったが、逆境で進化した。前日に捻挫し、感覚がなかった右足で降りた。尻もちも、数千を超える挑戦の中で最も惜しかった。アンダーローテーション(回転不足)で「2分の1回転以上かつ4分の3回転未満」はISU認定の着氷。記録に「4A」の2文字が刻まれた。五輪史を塗り替えた。

「一番(成功に)近かった。これが4Aの回転の速度なのか。(片足着氷は)危険すぎるかもしれない、人間にはできないのかもしれない。でも今できる羽生結弦のアクセルのベスト」

SP8位から反撃し、成績上位3人が待機する「グリーンルーム」に最後まで残った。一時は日本代表3人が独占。「全部出し切った」と満面の笑みで手を振った。最後の最後、米国のチェンが金メダルを取って4位に押し出される。3度目の五輪で初めて表彰台を逃した。「正直、ショートであんなことになっちゃって」。東日本大震災後、自身を救ってくれた4回転サルコーも転倒。「悔しかった。正しい努力もしてきたと思うし、自分が考え得る全てをやってきた。報われねえな」と目を潤ませた。

平昌五輪で2連覇を遂げ「取るものは取った。モチベーションは4回転半だけ」。引退も考えた。毎年。コロナ禍でも再び「やめようかな」と沈んだ。それでも夢が体を突き動かす。両手を天高く伸ばすフィニッシュ。6秒、天を仰いだ。「自分の魂を送った。9歳の時に滑っていた『ロシアより愛をこめて』の最後と同じ」。かつて“羽生史上最強”と表現し、無敵だったころ。「アクセルは王様のジャンプ」と教えられたころだった。今は怖い。「脳振とうで死ぬんじゃないか」。生死を意識して4回転半の練習を重ね、世界で初認定された。その舞台はやはり相愛の五輪だった。

94年ぶりの3連覇には届かなかった。4年前の栄光も、SP8位の失速も。両極端を味わった羽生にとって五輪とは。「ソチはソチで悔しいながらも勝ったし、成長できたし。平昌はその成長を全て出し切れたし。今回は、どうなんだろうな。時間がたつと見えてくるものもあるのかもしれないけど、挑戦し切った、自分のプライドを詰め込んだ五輪だったと思います」。

早大の卒業論文では王者ながら貪欲に、チェンや隆盛を極めるロシア女子のジャンプを研究した。昨夏の東京五輪では聖火ランナーの最終グループ入りを水面下で打診されたが、コロナ禍の調整を最優先に辞退した。全てスケートに懸けてきた。右足首を捻挫し、痛み止めを飲んでいたことも隠した。王者らしかった。

壁は高い。来月の世界選手権にエントリーしているが、まだ4Aの挑戦は続くのか。テレビの取材には涙を流した。答えは出ない。「もうちょっと、時間ください。ちょっと考えたいです。それくらい今回、やり切りました」。【木下淳】

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