日本モーグル男子のエース堀島行真(24=トヨタ自動車)が、北京五輪の日本勢第1号となる銅メダルに輝いた。

4人が出場した日本勢で唯一、6人で争われる決勝3回目に進出すると、81・48点の高得点をマーク。今季W杯3勝、全9戦で表彰台に立ってきた実力を発揮した。優勝候補として期待された18年平昌五輪では11位。今大会も3日の予選1回目は16位と一発通過を逃した。競技人生を象徴するように、回り道の末にメダルを手にし、4年前の雪辱を果たした。

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祈るような気持ちで、堀島は得点が表示されるのを待った。「81・48」。最後から3番目に滑った堀島が、その時点で一番上に名を連ね、今大会の日本勢第1号となるメダルを確定させた。力強くガッツポーズをつくると、周囲にいたライバルたちに祝福され、すぐに目が真っ赤になった。残る2人に得点を抜かれたが、悲願の五輪表彰台を銅メダルで決めた。

「最低でもメダルというところを掲げて今回臨んだ。それが達成できて本当によかった」。第1エアを高いジャンプで越えた後、ターンが少し乱れそうになるシーンもあった。「諦めそうになったけど、諦めちゃだめだ」とこらえた。第2エアでは3回転技を鮮やかに決めて着地にも成功した。

3日の予選1回目は16位。メダルを逃した前回大会の悪夢もよぎる。「つらかった。最低限の結果を残さないと、競技を続けられないんじゃないかと」。よもやの結果から中1日で臨んだこの日、予選2回目を5位でパスすると、決勝1回目も5位通過。決勝2回目を3位で突破すると、決勝3回目で最も高い得点をマーク。危機的状況から立て直したメダルだった。

世界選手権王者として臨んだ18年平昌五輪では最有力候補と目されていたが、決勝2回目で転倒して11位に敗退。その後、自分と向き合った。必要以上にプレッシャーをかけていたことを反省。競技に取り組む意識を変え、まずはモーグルを心から楽しむことを重視。その一環としてパルクールと呼ばれるアーバンスポーツや、さらにはフィギュアスケート、スノーボード、水泳の飛び込みにも挑戦した。未知のスポーツに取り組むことでモーグルに必要な体の使い方や繊細な感覚を磨き、新たな発見や楽しさを見いだした。

元日本代表で五輪5大会出場の上村愛子さんは、そんな堀島について「もともとの体の使い方が上手で、スポーツ万能な男の子」と評する。従来のモーグル選手で他競技に取り組もうとした選手はいなかったと説明した上で「堀島君は新しい考え方をする選手」とその発想力をたたえる。

真面目すぎる自身の性格を分析したうえで堀島が大切にしたのが、「頑張り過ぎずに頑張る」。今季W杯では9戦すべて表彰台。その安定感そのままに、五輪の大舞台でも表彰台に立った。4年間の成長をみせた日本のエースは「本当の夢はやっぱり金メダル。ここからまた競技を頑張りたいと思います」と言った。【奥岡幹浩】

◆堀島行真(ほりしま・いくま)1997年(平9)12月11日、岐阜県池田町生まれ。両親の影響で1歳からスキーを始める。岐阜第一高-中京大。五輪初出場となった18年平昌では転倒が響き11位。4年前の雪辱に燃える今季はW杯で9戦3勝を挙げ、上村愛子を抜いて日本歴代単独最多のW杯通算11勝となった。全試合で表彰台に立ち好調を維持している。趣味はけん玉。身長170センチ、体重66キロ。

◆堀島の18年平昌五輪VTR 17年世界選手権2冠に輝いた堀島の初五輪は、失意の結果に終わった。決勝2回目で持ち味のスピードある攻めの滑りを見せたが、第1エア手前で体勢が崩れて痛恨の転倒。11位に終わり、メダルを決める3回目に進めなかった。