北京五輪カーリング女子で20日、北海道の旧常呂町(現北見市)を拠点とする日本代表「ロコ・ソラーレ」が銀メダルを獲得した。常呂町に競技を広めた常呂カーリング協会初代会長の故小栗祐治さんが1980年(昭55)に池田町で開かれた講習会で初めて競技に触れてから42年。世界一の舞台で堂々と戦った。講習会でカーリングを教えた元世界王者の通訳を務めた帯広市の英語学校「ジョイ・イングリッシュ・アカデミー」学院長の浦島久さん(69)は、ロコ・ソラーレの快挙に「夢のようだ」と喜んだ。

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「昔冗談で、自分たちがオリンピックに出られるかもしれないって話していた。ロコ・ソラーレが北海道の人たちの夢をかなえてくれました」。42年前、日本に本格的なカーリングをもたらした元世界王者の通訳だった浦島さんは、世界トップの戦いを見せた選手たちをたたえた。

80年の講習会は、同年に北海道とカナダのアルバータ州とが姉妹都市となったことがきっかけ。講師には、同国の元世界王者ウォーリー・ウースリアックさんが招かれた。帯広市で英語学校を開いていた浦島さんは「若かったから何でも挑戦したかった」と通訳を引き受けた。ルールも知らない未知なるスポーツとの闘いが始まった。

元王者と3年間、道内各地を周り、カーリングの講習会を行った。座学や実技を1日約5時間、試合を見たことがなかった浦島さんは専門用語の通訳に苦労した。「『フリーズ』(相手の石にくっつくよう石を置くこと)は今では伝わるようになりましたが『凍結する』とか『動くな』と訳せるので難しかった」。続けて「そもそもどうやってくっつけるように投げるのかがわからなかった」と笑った。道内にはストーンやブラシなどのセットのほか、屋内専用リンクもなく「雪が降ったり、平らなリンクをつくるのも大変だった。ウォーリーさんは仕方ないと思って笑っていました」と振り返った。

講習会で特に熱心に取り組んでいた旧常呂町の小栗さんが強く印象に残っている。「小栗さんは地元以外にも池田町で参加したり、ヤカンをストーンに見立てたりしていました。常呂町の人たちはウォーリーさんに食ってかかるかのように練習していた」。元王者に挑むように学んだ小栗さんが指導した選手の子供たちの世代が今、世界と戦っている。「ロコ・ソラーレの選手たちも小栗さんを尊敬している」と語った。

浦島さんはその後、「帯広カーリング協会」を発足し、自ら日本初のカーリング専門誌「ハッピー・カーリング」を5年間で10冊刊行した。「通訳だけかなと思って始めたら、好きすぎてのめり込んでいました。運動音痴の僕でもできるし、知的で生涯できるスポーツだと思う」。ゼロから始まった挑戦は、世代を超えて受け継がれ、大きく花開いた。「今後は彼女たちに若い人たちが続くと思う。その目標になって欲しい」と願った。【沢田直人】

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<日本カーリングの歴史>

▼1936年 独ガルミッシュ・パルテンキルヘン五輪に出場した日本選手団が4年後の40年開催予定だった札幌五輪(戦時下で開催中止)でカーリング導入を目的にストーンを持ちかえる。長野・諏訪湖上で日本選手権を実施

▼47年 諏訪湖で実演会

▼50年代 北海道・ウトナイ湖、長野・蓼科湖で実演会

▼77年 北海道でカナダ・アルバータ州との文化交流で競技紹介される

▼80年 元世界王者ウースリアック氏が北海道21市町村で講習会を初実施

▼81年 北海道カーリング協会設立

▼82年 札幌で第1回北海道選手権開催

▼83年 東京都カーリング協会設立

▼84年 日本カーリング協会設立、札幌市真駒内で第1回日本選手権開催

▼92年 アルベールビル五輪で公開競技で実施

▼98年 長野五輪で24年仏シャモニー・モンブラン五輪以来の2度目の正式種目化。日本は男女ともに8チーム中5位

▼2002年 ソルトレークシティー五輪で女子シムソンズが8位

▼06年 カーリング映画「シムソンズ」公開

▼16年 世界選手権で女子LS北見が銀メダル

▼18年 平昌五輪で女子LS北見が銅メダル。9月、LS北見がロコ・ソラーレに名称変更