エース渡部暁斗(33=北野建設)が銅メダルに輝き、複合日本勢で初の3大会連続メダリストとなった。前半飛躍(ヒルサイズ=HS140メートル)の5位から、後半距離(10キロ)は途中先頭も、ゴール直前でノルウェー勢2選手に抜かれた。集大成と位置付けた5回目の五輪で悲願の頂点には届かなかったが、挑戦をやり切った。渡部暁の銅メダルで日本のメダル数は1大会の史上最多14個となった。

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金メダルとの差はわずか0・6秒だった。デッドヒートの末、渡部暁が手にしたのは銅メダル。悔しさはある。だが、ゴール後チーム関係者に向かって右手ガッツポーズで応える姿には充実感もあった。セレモニーでは、ほほ笑んで表彰台に立った。不調を自覚し、不安もあって臨んだ5大会目の五輪だった。「色は求めていた色ではなかったけど、形が残るもの。良かった」と納得した。

前半飛躍で135メートルの5位につけ、後半距離(10キロ)をトップと54秒差でスタートした。新型コロナウイルス陽性判定明けで前半首位のリーベル(ノルウェー)がコースを間違うアクシデントもあった。差を縮め、3・5キロ地点ではトップに立った。後方の選手がなかなか前に出ようとしない中、集団を先頭で引っ張った。最後、スタジアムに入った時もまだ1位。最後、追い上げてきたライバル2人に逆転された。「正直、なんであそこで頑張れなかったかと、最後の数百メートル、もうちょっと頑張れば」。余力は残っていなかった。

五輪シーズンに大胆な決断を下した。ジャンプを極めるため、夏場に作り直した。247センチから4センチ短いスキー板に変えた。短い分操作性が高まるが、風の影響やミスも響きやすい。過去にやったことがないくらいの重心の位置や目線も試した。試行錯誤しながら突入した今季、W杯ではトップ3に入れなかったが、ブレずに突き進んだ。個人種目ラスト。「ここに来て一番のジャンプだった」。執念だった。

願いをかなえるため、自分を変えた。積極的にトイレ掃除や、ランニング中にゴミを見つければ拾えるようにごみ袋を持参。「金メダルを成し遂げたいって人生においてかなりプラスなこと。だからマイナスなことをためるつもりで」。運気を変えようと験を担ぐほどの思いだった。

山頂の景色が見てみたくて5度目の登山に臨んだが、かなわなかった。「手を伸ばしてつかもうとすればするほど、手からこぼれていってしまう。届かない人間もいるんですって感じですかね。ベストは尽くせた」。集大成の五輪、悔いはない。【保坂果那】

◆渡部暁斗(わたべ・あきと)1988年(昭63)5月26日、長野・白馬村生まれ。3歳からスキー、小4からジャンプを始める。中1から本格的に複合に取り組む。五輪は06年トリノから5大会連続出場。W杯は荻原健司と並ぶ通算19勝で、17-18年シーズンは総合優勝も果たした。173センチ、61キロ。

<渡部暁の記録アラカルト>

◆日本勢の冬季五輪3大会連続メダル 渡部暁で史上2人目。今大会でスノーボードの平野歩夢が史上初めて達成。ハーフパイプで14年ソチ、18年平昌と連続で銀メダルの後、北京五輪で金メダルを獲得した。

◆複合で五輪史上3人目 複合の個人種目3大会連続メダリストは、過去に第1回1924年シャモニー五輪からのヨハン・グロットムスブラーテン(ノルウェー)と、72年札幌五輪から3連覇したウルリヒ・ウェーリング(旧東ドイツ)しかいない。

◆日本の史上最多を決めた 渡部の銅メダル獲得で北京五輪の日本選手団が獲得したメダルは計14個となり、冬季では前回平昌大会の13個を上回る史上最多となった。

<渡部暁の五輪表彰台VTR>

◆14年ソチ 個人ノーマルヒル(NH)で前半飛躍(ヒルサイズ=HS106メートル)で100・5メートルを飛び2位につけると、後半距離(10キロ)でも6秒差で追うフレンツェル(ドイツ)と金メダル争いを展開。最後はスタジアム勝負で敗れたが銀メダル獲得で、複合では日本勢5大会ぶりの個人戦メダルだった。

◆18年平昌 個人NHで再び銀メダルに輝いた。前半飛躍(HS109メートル)で105・5メートルで3位につけると、後半距離(10キロ)をトップと28秒差でスタートし、激しい競り合いの中、順位を1つ上げた。冬季五輪の日本勢通算50個目のメダルとなった。