アルペンスキーの女子滑降(座位)で、村岡桃佳(25=トヨタ自動車)が金メダルを獲得した。

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出場7人中4人が途中棄権する難しいコースを、終始安定感のあるミスのない滑りで1分29秒77でゴール。前大会で2つの金メダルを獲得したライバルの2位アナレナ・フォルスター(ドイツ)に0秒82差をつけた。

今大会日本勢初のメダルで、18年平昌大会で出場全5種目でメダル(金1、銀2、銅2)を獲得している村岡にとって、2大会連続の金メダル。「どうしても金メダルを取りたくて、レース前は不安だったが、スタート地点に立ったときは絶対いけると、滑っていても調子がいいと思った」と、レースを笑顔で振り返った。

19年に東京パラリンピック出場を宣言して陸上に挑戦。バランス感覚が重視されるスキーと、腕と上半身の筋肉を使って推進する車いす陸上はまるで別物だが、本番では100メートル6位入賞。今季、雪上に復帰してから「筋力や体の使い方が以前よりうまくなった」と語っていた。この日もターンではバランスを崩すことなく、二刀流の成果を本番の最初のレースで発揮した。

1月17日の菅平合宿で練習中に転倒して、右肘の靱帯(じんたい)を痛めた。診断は全治2~3カ月。右手をギプスで固定した生活で箸も握れず、約20日間も雪上練習ができなかったが「腕以外の部分や体幹のトレーニングに励んで」何とか開幕に間に合わせた。

日本選手団の主将も務めるエースは、今大会も5種目に出場予定。「早朝のレースだったので昨夜の開会式は出席できなかったけど、金1号として少しは日本チームに勢いをつけられたと思う」と満足げ。5種目全制覇の夢に1歩近づいた。

◆村岡桃佳(むらおか・ももか)1997年(平9)3月3日、埼玉県生まれ。埼玉・正智深谷高卒業後、早大スポーツ科学部へ進学。スキー部で健常者とともに活動。4歳の時、横断性脊髄炎を発症し、車いす生活となる。中2で本格的にスキー競技を始める。日本選手団最年少の17歳で出場した14年ソチ・パラリンピックは大回転5位、回転9位。18年平昌パラは大回転の金を含めて出場全5種目でメダルを獲得した。