「絶対に疲れないオリンピアン」。
地元スイスの放送局にそう称される選手がいる。5日の男子ジャンプノーマルヒルに登場するシモン・アマン、40歳。金メダル4個を誇る世界の鳥人は、98年長野大会から7大会目の五輪出場となり、アホネンに並ぶ歴代2位になる。1位は「レジェンド」葛西紀明の8大会連続だが、今大会は不在。アマンが最年長ジャンパーとして北京の風に挑む。
「疲れない」とは、どこかで聞いたフレーズ…。そう新日本プロレスの棚橋弘至こそが“先駆者”(かも)。「疲れてないです」と、不遇の時代から団体を支え、いまも最前線で主役の1人を張るIWGP・USヘビー級王者。生きる世界は違えど、疲れないベテランは、何かと存在感がある。アマンの知らせを聞いた棚橋は、「一気に親近感が湧きました。最年長選手として、どういう活躍をみせてくれるのか、楽しみです。そして、疲れない男の先輩(45歳)として、応援してます!」とエールを送った。
3日の練習日、そのアマンに年齢の話を聞くと、葛西の名前に悲しい顔になった。
「ノリがいないのが悲しいよ。ここにいたらと思う。ノリがまたいつかW杯にカムバックすることを願っている。たくさんのファンもそうだと思うよ」
長年しのぎを削り合ってきた。世界選手権初優勝の場が07年の札幌であり、日本との縁も深い。
172センチ、60キロと小柄な体格も、高い飛行曲線を描くど迫力の飛躍をみせる。02年ソルトレークシティー大会で金メダル2個を手にすると、映画の主役に似た風貌から「スキー界のハリー・ポッター」としても親しまれ、10年バンクーバー大会でも個人2種目を制覇した。
40歳を迎えた「ハリー」は、「疲れない」その長い競技人生の原動力も葛西だという。「ノリが長くジャンプを続けるための素晴らしいインスピレーションをくれる。『いつ辞めるの?』『いつ引退するの?』と話題になるけど、ノリが長く続けることが可能であることを証明している」。年齢の壁を壊していく開拓者を敬う。
葛西が14年ソチ大会で銀メダルを手にしたのは41歳の時だった。前述の地元紙のインタビューでは、北京の戦いをこう予見している。「風は、勝てる見込みのない選手にとってはいいものだ。重要なのは、その風をどう自分なりに利用するかだ」。棚橋や葛西と一緒だ。疲れることがない大ベテランをあなどるな。【阿部健吾】
◆シモン・アマン 1981年6月25日、スイス・グラブス生まれ。9歳でジャンプを始め、16歳で迎えた98年長野大会で五輪初出場。前回の18年平昌大会まで五輪6大会連続出場。02年ソルトレークシティー五輪、10年バンクーバー五輪で、ともにノーマルヒルとラージヒルの個人2冠に輝き、五輪は金メダル計4個。スポーツ万能で、スノーボード、スケート、バレーボール、マウンテンバイクなどもこなす。172センチ、60キロ。
新日本プロレスの棚橋弘至「冬季オリンピック7大会連続出場のシモン・アマン選手。祖国スイスでは「絶対疲れないオリンピアン」と呼ばれているそうで、一気に親近感が沸きました。最年長選手として、どういう活躍をみせてくれるのか、楽しみです。そして、疲れない男の先輩(45)として、応援してます!」
<こんな人>
07年、ノルディックスキー世界選手権がアジアで初めて札幌で開かれた。当時、私は内勤でレイアウト担当の整理部に所属していたため取材には出られない立場。それでもジャンプ競技が大好きだったため、自費で札幌に向かった。
シモン・アマンはラージヒルで金メダルを獲得。世界トップ選手を少しでも間近で見たいと選手宿舎だったプリンスホテルに赴いた。敷地内には入れないため「アマーン!」と叫ぶと本当に偶然、エントランスから出てきた。
近づいて来る。すると次の瞬間、足元に積もっていた雪を丸め、投げてきたのだ。我々が驚くと「ハハハハハ」と爆笑。我々も“応戦”するとアマンも2発目を投げてきた。異色な“雪合戦”はそれで終わり。笑顔で手を振り去って行った。25歳アマンの無邪気なファンサービスに、1歳上だった私は心を奪われた。【三須一紀】





