競輪との二刀流で注目を集める原大智(24=日本スキー場開発ク)は7位と2大会連続のメダルはならなかった。平昌オリンピック(五輪)で銅メダルを獲得後、競輪の世界に飛び込みながら、モーグルを続ける二刀流の挑戦を決意。当初、競輪界には疑問の声が渦巻いた。逆風もあったが、元トップ選手で、日本競輪選手養成所の滝沢正光所長(61)は二刀流の挑戦を歓迎。原も信念を貫き、2度目の大舞台に立った。

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原の二刀流は、競輪界から見ても偉業だ。しかし、当初は関係者の間でも、二刀流挑戦は懐疑的な声は少なくなかった。競輪選手養成所には、五輪メダリストの実績による、特別選抜試験での合格だった。規定タイムを突破してきた他の合格者とは自転車経験が全く違う。規定タイムがクリアできず、追試を受けたこともあった。

自転車競技であれば、五輪代表には一定の身分保障がある。だが、モーグルのように他競技を続けることは、あくまで自己都合。新人はA級3班という、競輪界のランクで最も下からスタートした。成績が悪く、けがなどでレースに出場できなければ成績不良で、クビになる可能性もあった。

同期が早々に上のクラスに“飛び級”する中、勝てない日々が続く。年齢が倍以上の相手に、苦戦を強いられたこともあった。お金を賭ける競輪ファンの声はシビアだ。人気になって負ければ痛烈なヤジが飛ぶ。「ヤジはイヤですね。スタートの時に笑わせてくる人とかいるし」と、プロの洗礼を苦笑いで振り返ったこともあった。

二刀流の挑戦が、競輪への本気度を疑われ、厳しい視線にさらされる中、当初から挑戦を後押ししてくれた人物がいる。日本競輪選手養成所の滝沢正光所長。19年5月、入所式では「他の競技との二刀流は記憶にない。すごい夢ですよね。アルペンスキーから転向して成功した例もある。モーグルでもやれると思う。かなり期待している」と語っていた。

滝沢所長は現役時代に全G1を優勝するグランドスラムを達成するなど、一時代を築いた名選手。自身も未経験でバレーボールから転向して競輪界の頂点に立った。可能性を信じて疑わなかった。滝沢所長のサポートなどもあり、原も周囲の批判に動じず、信念を貫いた。「いろんな可能性があることを、自分が示したい。少なくとも、ここまで悔いが残ることはなかった」。試行錯誤を乗り越え、再び五輪の舞台に立った。

今年1月、デビューから丸1年半をかけてようやく1つ上のクラスに上がった。原と同じ、宮城支部のS級レーサー斎藤登志信(49)は、五輪での滑走を見て「競輪の時と違って表情が違う。生き生きしているよね。競輪でも、笑顔で走ればいいのにね」と笑う。7位と連続メダルこそならなかったが、モーグル人生は悔いなく終えた。北京で見せたあの笑顔で、バンクに戻ってくるのを、だれもが楽しみに待っている。【山本幸史】

◆原大智(はら・だいち)1997年(平9)3月4日、東京都生まれ。カナダ・BC・ウィスラー・セカンダリースクールから日大。小学6年から本格的にモーグルを始め、18年平昌五輪男子モーグルで銅メダル獲得、同種目男子で初めて表彰台に立った。競輪では117期生として20年5月にデビューし、現在A級2班。172・9センチ、80・4キロ。血液型B。

19年5月、日本競輪選手養成所入所式を終えて滝沢正光所長(右)と記念撮影する原大智
19年5月、日本競輪選手養成所入所式を終えて滝沢正光所長(右)と記念撮影する原大智
20年3月、日本競輪選手養成所117期卒業記念レースに臨む原大智
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男子モーグル決勝2回目 コブを攻める原大智(共同)
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