運命を分けたのは、まさに100分の1秒だった。9秒95の日本記録保持者・山県亮太(29=セイコー)は、日本男子100メートル史上初となる3大会連続でのオリンピック(五輪)出場を決めた。10秒27の3位に入った。

「やっぱり優勝したかったけど、厳しい戦いと思っていた選考会で権利を勝ち取れたことはうれしい。だが、ちょっと気持ちが空回りし、反省しています」

厳しき勝負の世界。わずか0秒01。それが天国と地獄の境界線だった。そこに3人。10秒27で同タイムで公式記録には残らない1000分の1秒の着差で4位だった小池も五輪切符を手中に収めた。そして…、10秒28の桐生は落選した。

右アキレス腱(けん)痛に苦しんでいた桐生とは長く陸上界をけん引し、日本人初の9秒台の期待を背負い合った存在。結果を確認すると、握手はした。ただ、特別な仲だからこそ、すぐには言葉を交わせない。過去2年は自分が度重なる故障に悩んでいた。「それぞれ思うことはある。複雑な気持ち」。そう胸の内を整理し、言葉にした。

独特の緊張感が漂う五輪選考。スタート前から少し表情は硬かった。鋭く出るも、勢いが続かなかったのは多田の姿が視界の右端に入ったから。平常心をまとえていなかった体には力みが生まれた。70メートル付近ではバランスを崩し、顔もゆがんだ。思うように伸びず、自己記録10秒20で参加標準記録を突破していない伏兵デーデーにも抜かれた。

内容は満足いかない。しかし、結果が全てだ。男子100メートルで3大会連続五輪出場は日本人初の快挙になる。自己記録が「11秒4」だった広島・修道中の頃、伊東浩司氏が10秒00を出した過去を知り、「絶対無理」と思っていた9秒台を将来の目標とした。修道高1年時には、朝原宣治氏がアンカーとして、08年北京五輪男子400メートルリレー銅メダル(銀に繰り上がり)でバトンを空に投げた姿をマネしていた。そんな憧れたレジェンドたちも、3大会連続は成し遂げられていない。「そのことに関してはうれしい」と笑った。【上田悠太】