19年世界王者の丸山城志郎(27=ミキハウス)は阿部一二三(23=パーク24)に敗れた。

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敗れた丸山は23分56秒で力尽きた。押し込まれた場外際、前に出るしかない。阿部の担ぎ技は封じ、次は大内刈り-。想定し尽くした。それでも浴びた。左肩を畳に打ちつけられる前、小外刈りで返そうと意地は込めたが「投げられた感覚はあった」と潔く認めた。

試合後の取材では第一声まで20秒ほど言葉が出なかった。出たのは涙。「自分を信じて、妻を信じて。毎日一緒に稽古してくれた大野(将平=男子73キロ級代表)先輩にも…感謝の気持ちでいっぱいです」。宿敵に関しても逃げることなく言及した。「ここまで肉体的にも精神的にも成長できて強くなれたのは、阿部選手の存在があったから」と。

15年に勝って阿部のリオ五輪への道を断ち、始まった因縁の物語。4勝3敗と勝ち越し、18~19年の3連勝で東京五輪に王手をかけていた。昨秋のGS大阪大会で借りを返され、左膝の靱帯(じんたい)損傷で今年2月のGSは欠場。横一線に戻されたが、資格を持つ妻くるみさんの食事サポートもあって焦りはなかった。「わがままに付き合ってくれた妻に感謝したい。やってきたことは出し切れた」と納得。“史上最長”24分間が「あっという間」に感じる完全燃焼だった。

92年バルセロナ五輪男子65キロ級代表の父顕志氏(55)からもエールが届いた。今春、父が福岡県春日市の道場「泰山学舎」に整備した庭「OLYMPIC GARDEN」。その立て札に「1992」「2021」「YOU CAN DO IT!」と記され、父子2代出場の夢を託された。

かなわなかったが、息子の心は折れていなかった。「まだ柔道人生は終わっていない。これからも諦めず前を向き、もっと強くなれるよう精進していく」。中学時代、試合で逃げて指導を食らい、大学まで「お前には心がない」と「城志郎」から「城士郎」に“改名”させられていた姿は、ない。延長戦で阿部を押し込み指導を2つ奪い返した丸山が、史上最強の敗者として日本柔道史に「城志郎」の名を刻んだ。【木下淳】