【ベルリン=山本幸史】日本女子自転車史上初の世界女王が誕生した。梶原悠未(22=筑波大)が、女子オムニアムで金メダルを獲得した。世界選手権を制した日本勢は、87年オーストリア大会の本田晴美(ケイリン)俵信之(スプリント)以来33年ぶり。女子の世界選手権メダルは、15年(フランス)ポイントレース銀メダルの上野みなみ以来、史上2人目となった。初のオリンピック(五輪)代表を確実とし、金メダル候補の大本命に躍り出た。

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155センチの小柄な女子大生が世界を制し、日本自転車界の歴史を変えた。梶原は「すごくうれしいです」と声を弾ませた。世界選手権覇者だけが、1年間着用が許される、虹色のジャージー「マイヨ・アルカンシェル」。ジュニア時代、手が届かなかった王者の服に袖を通し、喜びをかみしめた。

楽な道ではなかった。エリミネーションは、昨年まで苦手な種目だった。そこで、レース映像を1000回以上見て、必勝法を研究。その成果を大学の卒論として提出したほどだ。それでも、因縁のレースにアクシデントが待っていた。残り6人となったところで外に振られてまさかの落車。さらに、後続に左腕をひかれてしまった。「痛みはありました。10段階で言うと8。まずは落ち着こうと呼吸を整えた」。数十秒で再び自転車にまたがり、レースに復帰すると、すぐさま先頭に躍り出て最終的に3着。不利すらはねのけてつかんだ、文句なしの女王戴冠だった。

2月29日は、母有里さんの48歳の誕生日。その母に「全国1位になれる競技を」と、高校進学を機に、自転車競技を勧められた。まだ競技歴は7年しかない。筑波大進学後は、梶原が自ら練習メニューを考え、母はとことん練習につき合った。昨年8月には、父を残しベロドローム(自転車競技場)のある伊豆で2人暮らしを開始した。「夕方の方が数値がいい」と気づいた有里さんが練習時間を変えるなど、もはや名コーチ。まさに二人三脚で歩んできた母への最高のプレゼントになった。

これで五輪代表どころか、文句なしの金メダルの最有力候補。「ここで金を取って、五輪で金メダルを取ると目標を掲げてきた」。世界を制した梶原の夢は、まだ道半ばでしかない。

◆オムニアム代表選考基準 最初に「20年世界選手権で最高の成績をおさめたもの」という条項があり、梶原は当然クリア。今後は3月9日に各種目の出場枠が確定。日本自転車連盟トラック委員会(開催日未定)での承認を経て、5月1日までには五輪代表が正式発表される。