重量挙げで五輪2大会連続メダリストの三宅宏実(35=いちご)が東京五輪出場を決め、夏季五輪では女子で史上2人目となる5大会連続出場を決めた。15日に日本ウエイトリフティング協会が開催国枠での女子3選手を発表し、選考基準を満たして女子49キロ級の代表に選ばれた。「とてもうれしく思っています。開催国枠がなければ出場できなかったので、与えられたチャンスを最大限に生かして頑張りたい」と決意を語った。

満身創痍(そうい)で銅メダルを獲得した16年リオデジャネイロ五輪から5年。12年ロンドン五輪の銀メダルに続く2つ目のメダルを手にした後は、さらに過酷な日々が待っていた。30歳を超えた肉体は、積年の負荷がたまり、リオを終えて1年間の休養を挟んだ後も、特に腰痛が悪化した。バーベル練習前のストレッチの時間を多く取るなど、常に肉体と会話しながら、我慢を強いられる練習が続いた。

19年5月には全日本選手権で右足の肉離れを起こし、全治2カ月。腰の疲労骨折で同年12月の全日本選手権も欠場を余儀なくされた。思うようにいかない現実に悩み、そこに新型コロナウイルスが襲った。五輪の1年延期に「2年ならあきらめていた」と本音を漏らしたこともある。

昨年3月、緊急事態宣言が発出されると、大学生まで過ごした実家に戻った。約10年ぶり、家は建て替えて競技を始めた頃の練習場所はなくなったが、新しくなったリビングで父義行さんに指導を受けた。「帰った時は落ち込んでしまい、何日かは考えることも多かった。ただ、考えていても仕方ないので、先を見つめないで目の前のこと一生懸命やろうとシフトとして、家に帰り、何も成し遂げていない数カ月になりたくなかった」。

解除されるまでの2カ月間、一人で考えることが多かった練習日程、メニューを変えた。68年メキシコ五輪銅メダリストで、競技の基礎をたたき込まれた父の助言を受けた。「かなわないなあ。いままでは自分で計画して、でもそれがケガに結びついた。父のメニューに変わってからは安定してできている。毎日のコンディションに合わせて調整できている。そのおかげで練習できています。このスタイルで最後までいきたいです」。原点を見つめ、折れそうになった体と心をつないだ。尊敬する父と一緒に。

床が抜ける恐れからバーベルを落とせないなど制限はあったが、収穫の方が大きかった。実家から再び拠点のナショナルトレーニングセンターにこもり、今夏を待った。4月には1年半ぶりの実戦としてアジア選手権に出場して8位。バーベルを一気に頭上に挙げるスナッチで73キロ、いったん肩まで持ち上げたあと頭の上に挙げる得意のジャークで98キロ、合計171キロはリオの記録(188キロ)とは大きな差があったが、久々の国際大会で感覚を養えた。

五輪について「開催できることだけでもうれしいこと」と静かに望んできた。父の兄義信さんは、1964年東京五輪の重量挙げ日本人史上初の金メダリストで、同大会の日本人金メダル1号でもある。1964年と2020年を結ぶ、三宅一族の戦い。「トップ選手は中国、インド、米国。非常に厳しい現状ではありますが、試合は最後まで何があるか分からない。1つでも順位を上げられるように最後まで全力を尽くしたい。残り39日となってますが、あっという間だなと。1日1日を大切に、悔いのないように頑張ります。よろしくお願いします」。2001年にバーベルを握り始めて20年。競技を迎える7月24日を「現役最後の日と思ってやる」と誓って過ごしてきた日々は、2カ月後にフィナーレを迎える。【阿部健吾】

◆女子の五輪連続出場 夏季大会で5大会連続は柔道の谷亮子(92年バルセロナ~08年北京)に続き2人目で、最多タイとなる。冬季ではスピードスケートの岡崎朋美、田畑真紀、モーグルの里谷多英、上村愛子、スノーボードの竹内智香がいる。夏季と冬季合わせると橋本聖子の7大会連続がある。

○…女子は五輪連続出場の選手がそろった。リオ5位の59キロ級の安藤は、金メダル候補。「メダル獲得は最低条件」と強気に誓った。韓国を拠点に鍛えた力をみせる。3大会連続となる55キロ級の八木は、53キロ級で6位入賞したリオから2キロ増の55キロ級。「(外国勢の)レベルが上がり厳しい戦いになるが、自分の目標をしっかり達成したい」と見定めた。

○…男子は国際連盟の選考基準を満たし、4人が代表に決まった。看板は最軽量61キロ級の糸数。4位で惜しくも表彰台を逃したリオの雪辱を誓う。「約15年間やってきて、すべての思いをぶつけたい」。96キロ級の山本は三木東高の恩師、小高監督が84年ロサンゼルス五輪の銅メダリスト。「男子はそれ以来メダルがない。獲得を約束している」とした。