【追憶 桑田真澄〈1〉】「青春終わった」「頑張れ、頼む」1年夏の間に身内評が激変

PL学園の桑田真澄。すべての野球好きが胸躍る響きです。しなやかな所作と豊かに伸びるボールで、甲子園通算20勝。本人がじっくり語った、貴重な10回連載のスタートです。(2017年6月3日掲載。所属、年齢などは当時。文中敬称略)

高校野球

全国高校野球選手権大会が100回大会を迎える来年夏までの長期連載「野球の国から 高校野球編」。元球児の高校時代に迫る「追憶シリーズ」に、桑田真澄氏(49)が登場です。2度の全国制覇に、2度の準優勝。1983年(昭58)夏から85年夏の甲子園マウンドはPL学園エースとともにありました。戦後最多20勝の記録を残した桑田氏の高校時代を10回の連載で紹介します。

★夏春夏 池田の夢を木っ端みじん

その日を境に、甲子園は新時代を迎えた。

83年8月20日。夏の甲子園準決勝。

PL学園の相手は池田だった。戦前の予想は圧倒的に池田有利。史上初の夏春夏3季連続優勝まであと2勝に迫る池田に注目が集まるのは当然。

だが、プレーボールからわずか1時間25分で、その夢は断たれた。

PL学園7-0池田。

完封したのは1年生の桑田。

◆桑田真澄(くわた・ますみ)1968年(昭43)4月1日、大阪府生まれ。PL学園から85年ドラフト1位で巨人に入団し、日本通算173勝141敗14セーブ、防御率3・55。最優秀防御率2度、最多奪三振1度。94年セ・リーグMVP、87年沢村賞。07年には米大リーグ・パイレーツでプレー。08年の現役引退後、10年に早大大学院スポーツ科学研究科を首席で修了。13年から東大で特別コーチ。21年から巨人投手コーチとして現場復帰。現役時は174センチ、80キロ、右投げ右打ち。

池田にとっては甲子園31試合目で初の完封負けだったが、ゼロ行進を続けるうちに「ひょっとしたら」の思いを強めていたのは、桑田自身だった。

桑田成功体験があったから、勝負はやってみないと分からないというのが頭の中にあったんです。最後まであきらめたらいけないな、と。

周囲の予想を裏切るシャットアウト劇は初めてではなかった。池田戦の1カ月前…。

★「何が中学No.1だよ」

7月26日の大阪大会4回戦。「9番、ピッチャー、桑田」。

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古代の王国トロイを発見したシュリーマンにあこがれ、考古学者を目指して西洋史学科に入学するも、発掘現場の過酷な環境に耐えられないと自主判断し、早々と断念。
似ても似つかない仕事に就き、複数のプロ野球球団、アマ野球、宝塚歌劇団、映画などを担当。
トロイの 木馬発見! とまではいかなくても、いくつかの後世に残したい出来事に出会いました。それらを記事として書き残すことで、のちの人々が知ってくれたらありがたいな、と思う毎日です。