【追憶 桑田真澄〈2〉】甲子園15連勝のやまびこ打線に立ち向かうドン・キホーテ

PL学園の桑田真澄。すべての野球好きが胸躍る響きです。しなやかな所作と豊かに伸びるボールで、甲子園通算20勝。1年にして無双の池田高校を封じ、強烈なインパクトを残した1983年(昭58)夏の回顧。(2017年6月4日掲載。所属、年齢などは当時。文中敬称略)

高校野球

★甲子園=池田の時代

敗者は、居場所が分からなかった。

83年夏。前年夏の1回戦から連勝街道を突っ走ってきた池田が負けた。池田の正捕手だった井上知己が、その衝撃を振り返る。

井上 2年の夏から3年の夏までぼくらは15連勝しました。負けたときに、ベンチ前でどこに並べばいいのか分からなかった。

井上は、2年夏は控え捕手で、3年春は水野雄仁とのバッテリーで甲子園の頂点に立った。

常勝・池田をホーム後方の定位置から三塁側ベンチ前に追いやったPL学園のエースこそ、15歳の桑田真澄だった。

甲子園は池田の時代だった。

超高校級のエース水野に、名将・蔦文也が鍛え上げたやまびこ打線。パワー野球は1年生投手をのみ込むと誰もが思っていた。

★「まるで牛」

PL学園の選手すら、そう思っていた。上級生はあきらめに満ちた言葉を次々にかけた。

桑田 僕が先輩に言われたのは「桑田、今日はどうせ負けるんや。でも10点以内に抑えろ」ということでした。「大阪の恥やから9点までにしろ」と。

だが、何の励ましにも聞こえない言葉に、桑田は光を見いだした。

本文残り58% (805文字/1396文字)

古代の王国トロイを発見したシュリーマンにあこがれ、考古学者を目指して西洋史学科に入学するも、発掘現場の過酷な環境に耐えられないと自主判断し、早々と断念。
似ても似つかない仕事に就き、複数のプロ野球球団、アマ野球、宝塚歌劇団、映画などを担当。
トロイの 木馬発見! とまではいかなくても、いくつかの後世に残したい出来事に出会いました。それらを記事として書き残すことで、のちの人々が知ってくれたらありがたいな、と思う毎日です。