【追憶 桑田真澄〈7〉】ドラフト当日3球団から「1位」連絡 反故にされ残った巨人

PL学園の桑田真澄。すべての野球好きが胸躍る響きです。今だから話せる、巨人入りまでの経緯。貴重な証言となった全10回連載の第7話。(2017年6月9日掲載。所属、年齢などは当時。文中敬称略)

高校野球

★パンチョ伊東のアナウンス

高校最後の夏を全国制覇で終え、桑田はPL学園のユニホームを脱いだ。

戦後最多の聖地20勝を積みあげ、甲子園最多13本塁打の清原和博とともに野球の神に祝福された高校生として卒業するはずだった。

だが85年11月20日、東京・九段のホテルグランドパレスに響いたアナウンスが、2人のその後を大きく変えた。

「第1回選択希望選手 読売 桑田真澄 17歳 投手 PL学園高校」

球界は騒然となった。桑田は早大進学を希望し、清原は巨人熱望とみられていた。だが、巨人の本命は桑田だった。

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古代の王国トロイを発見したシュリーマンにあこがれ、考古学者を目指して西洋史学科に入学するも、発掘現場の過酷な環境に耐えられないと自主判断し、早々と断念。
似ても似つかない仕事に就き、複数のプロ野球球団、アマ野球、宝塚歌劇団、映画などを担当。
トロイの 木馬発見! とまではいかなくても、いくつかの後世に残したい出来事に出会いました。それらを記事として書き残すことで、のちの人々が知ってくれたらありがたいな、と思う毎日です。