【追憶 桑田真澄〈5〉】「マジック」「のびのび」に屈し取手二へ…茨城で得た野球観

PL学園の桑田真澄。すべての野球好きが胸躍る響きです。昭和59年夏、取手二との決勝。自身の甲子園ワースト失点で敗れ、驚きの行動に出ます。一流の思考が垣間見える、全9回連載の第5話。(2017年6月7日掲載。所属、年齢などは当時。文中敬称略)

高校野球

★潮目のワンポイント継投

女神は、PL学園にほほえむかに見えた。84年夏の甲子園。

取手二との決勝で、敵将・木内幸男の知略がPL学園の夏連覇を阻んだ。

9回、先頭の清水哲が同点ソロ。右手中指の痛みに苦しんでいたエース桑田を救ったかに見えた。

そこで木内は先発のエース石田文樹を右翼に下げ、左腕の柏葉勝己をマウンドへ。4番・清原和博を迎えたところで再びエースを登板させる継投で、流れを断った。

取手二エース石田文樹(奥)と桑田=1984年8月21日

取手二エース石田文樹(奥)と桑田=1984年8月21日

取手二の主軸で現在は新日鉄住金鹿島監督・中島彰一は、18歳の夏を振り返る。

中島勝因はやっぱり、9回のワンポイント継投だと思います。一瞬にして流れを止めた。

采配だけではなかった。ベンチに戻ったナインを、木内は「せっかく甲子園で決勝戦ってんだから、1イニングでも長くやっぺよ」と励ました。

中島何で同点にされるんだと怒られると思っていたら、真逆でした。普段はよく叱られた。でも甲子園に来たら、好きなようにやらせてくれた。監督のそれも人心掌握術でした。

★目で確かめる

思いもかけない木内の激励で、気力を取り戻した取手二。延長10回、桑田を捉えた。

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古代の王国トロイを発見したシュリーマンにあこがれ、考古学者を目指して西洋史学科に入学するも、発掘現場の過酷な環境に耐えられないと自主判断し、早々と断念。
似ても似つかない仕事に就き、複数のプロ野球球団、アマ野球、宝塚歌劇団、映画などを担当。
トロイの 木馬発見! とまではいかなくても、いくつかの後世に残したい出来事に出会いました。それらを記事として書き残すことで、のちの人々が知ってくれたらありがたいな、と思う毎日です。