【追憶 桑田真澄〈9〉】2人の道が重なった08年7月29日スカイマークスタジアム

PL学園の桑田真澄。すべての野球好きが胸躍る響きです。清原和博との関係に触れた、10回連載の第9話。(2017年6月11日掲載。所属、年齢などは当時。文中敬称略)

高校野球

★「もう放っておいてくれ」

両雄は、今も並び立っているはずだった。

桑田と清原和博。

PL学園入学時から競い合い、支え合い、桑田は戦後最多20勝、清原は史上最多13本塁打を残した。甲子園最強のコンビ。

だが、引退後も球界の内外を超えて活躍する桑田に対し、昨年2月に覚醒剤所持で逮捕された清原は社会復帰の道を探る。

桑田引退した頃から、キヨに対する変なうわさを耳にするようになりました。その度に電話をかけたり直接会って、「大丈夫か、気をつけろよ」と言ってきました。しかし、最後に彼は「オレのことはもう放っておいてくれ」と言ってきました。

これが最後に交わした言葉だった。

桑田は清原に手厳しいことを言い続けたが、思いは実らなかった。

桑田あの時、ふと考えたのは、僕たち2人で野球界のために力を尽くす姿が、この先イメージできなくなったということです。僕には日本の野球界をより良いものにしたいという目標がある。そのためにも、彼が復活することを願っています。それまでは、僕なりの方法で野球界に貢献していきたい。

★「桑田のボールを打ちたい」

9年前、2人の道が重なり合ったときがあった。08年7月29日のスカイマークスタジアム(現ほっともっと神戸)。

前年夏の左膝軟骨移植手術から再起し、同31日に1軍合流が決まった清原が「桑田のボールを打って1軍に上がりたい」と打撃投手を依頼した。

清原の「桑田のボールを打って1軍に」の言葉に、「キヨ」のためならと打撃投手を務めた=2008年7月

清原の「桑田のボールを打って1軍に」の言葉に、「キヨ」のためならと打撃投手を務めた=2008年7月

その年の3月に引退を表明した桑田は「キヨのためなら」と応じ、パイレーツのユニホームを着てマウンドに立った。2人の恩師、PL学園元監督の中村順司が明かす。

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古代の王国トロイを発見したシュリーマンにあこがれ、考古学者を目指して西洋史学科に入学するも、発掘現場の過酷な環境に耐えられないと自主判断し、早々と断念。
似ても似つかない仕事に就き、複数のプロ野球球団、アマ野球、宝塚歌劇団、映画などを担当。
トロイの 木馬発見! とまではいかなくても、いくつかの後世に残したい出来事に出会いました。それらを記事として書き残すことで、のちの人々が知ってくれたらありがたいな、と思う毎日です。