【3・30開幕】日本ハム加藤貴之の最少四球「11」 次に狙うは安田猛の「81」?

今年はさて、いくつ四球を与えるでしょう。日本ハム加藤貴之投手(30)の投球が楽しみです。昨年の与四球数は11。規定投球回に達した投手の最少四球を記録しました。50年の野口二郎(阪急=14)から72年ぶりとなる更新でした。制球自慢の左腕といえば、一昨年2月に73歳で死去したヤクルト安田猛投手の姿が浮かびます。残した記録、81イニング連続無四球(73年)は、今も破られていません。加藤はこの数字にも届くのでしょうか。

プロ野球

昨季0.67も…連続は39回2/3

加藤の与四球率は0・67だった。昨年の1試合平均が1個に満たないということだ。これまた50年の野口(0・69)を抜く新記録になった。

それでは連続無四球は? と調べると、39回2/3が最長になる。安田が残した81イニングの半分にも届いていなかった。

◆安田猛(やすだ・たけし)1947年(昭22)4月25日、福岡県生まれ。小倉から早大、大昭和製紙を経て71年ドラフト6位でヤクルト入り。72、73年とプロ入り2年連続防御率1位。制球力が良く、73年には81イニング連続無四死球のプロ野球記録をマーク。81年に現役引退。21年2月、胃がんのため死去。通算358試合で93勝80敗17セーブ、防御率3・26。左投げ左打ち。173センチ、72キロ。ちなみに、いしいひさいち氏の漫画「がんばれ!!タブチくん!!」では、安田をモデルとした「ヤスダ」投手が登場。魔球を披露している。


◆加藤貴之(かとう・たかゆき)1992年(平4)6月3日、千葉県生まれ。拓大紅陵では甲子園出場なし。新日鉄住金かずさマジックでは野手転向後に投手に再転向。15年ドラフト2位で日本ハム入団。21年10月18日楽天戦でプロ初完封を記録。通算成績は178試合で41勝40敗、防御率3・33。182センチ、90キロ。左投げ左打ち。今季推定年俸1億3500万円。

安田の記録は、思わぬ展開で止められた。ベンチから指示された故意四球だ。73年9月9日の阪神戦だった。江夏相手に先発し、8回まで被安打2の無四球。2点をリードして完封目前だった。

明治屋でオフ恒例の日給3000円のアルバイトをする、当時27歳で月給70万円のヤクルト安田猛投手。「いつまでもプロ野球選手でいるわけではないのだから」と足元を見つめる=1974年12月

明治屋でオフ恒例の日給3000円のアルバイトをする、当時27歳で月給70万円のヤクルト安田猛投手。「いつまでもプロ野球選手でいるわけではないのだから」と足元を見つめる=1974年12月

それが9回2死一塁から中村勝広、遠井吾郎に連続二塁打を浴び、一瞬にして追いつかれた。ここで4番田淵幸一を迎える。三原脩監督は敬遠を命じ、連続無四球が止まった。

場面は2死一、二塁と変わり、次打者は左打ちの池田祥浩(のちに純一)。その初球、甘いカーブをとらえた打球は、右翼スタンドに吸い込まれた。サヨナラ3ラン。安田はふらつきながら、マウンドを降りたという。

「遠井さんのスライダーが真ん中に。勝負を急ぎすぎたのが…」。あっと驚く幕切れとなって、72年ぶりの新記録は置き去りにされた。

田淵で始まり、田淵で終わる

1回、3者凡退に打ち取り、白木義一郎(東急=50年)の持つプロ野球記録、74イニングに並んだ。続く2回、先頭で迎えたのが田淵だった。2球で中飛に仕留めた。新記録も田淵相手に達成したといいたいが、この時点ではまだ記録更新とはいい切れない。

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徳島・吉野川市出身。1974年入社。
プロ野球、アマチュア野球と幅広く取材を続けてきた。シーズンオフには、だじゃれを駆使しながら意外なデータやエピソードを紹介する連載「ヨネちゃんのおシャレ野球学」を執筆。
春夏甲子園ではコラム「ヨネタニーズ・ファイル」を担当した。