【心身統一合気道・中】王貞治への至言「突っ込むなら、右足を上げたら」【動画あり】

アスリートがパフォーマンスを発揮できるように取り入れている「心身統一合気道」を紹介します。

巨人、ヤンキースなどで活躍した松井秀喜さんが現役時代、心身統一合気道を取り入れていた秘話があり、長嶋茂雄、王貞治、広岡達朗さんらV9戦士も指導を受けていました。実は王さんの1本足打法は合気道から生まれています。堀威夫さん(ホリプロ創業者)ら政財界のリーダーたちも指導を受け、実践していました。現在、「心身統一合気道」(世界各国3万人の会員)会長の藤平信一さん(51)は、ドジャースやパドレスの“臨時コーチ"を務めた経験があり、「気の働きを促進する」姿勢や呼吸法などを指導しました。ビジネスパーソンにも役立つ姿勢や呼吸法とは―。動画を交えて、その極意を取材しました。3回連載の中編。

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◆藤平信一(とうへい・しんいち)1973年(昭48)、東京都生まれ。東京工業大学(現東京科学大学)生命理工学部卒業。父光一氏より心身統一合気道を継承し、心身統一合気道会会長。世界24カ国、約3万人の門下生に指導、普及に務めている。慶応義塾大学では、体育会合気道部の師範で、非常勤講師として一般教養の授業で心身統一合気道を指導。著書に「心を静める」(幻冬舎)「心と体のパフォーマンスを最大化する氣の力」(ワニブックス)「一流の人が学ぶ氣の力」(講談社)、「調子いい!が続く姿勢と呼吸の整え方」(大和書房)など多数。

■中村天風の系譜

ドジャース大谷翔平選手がプロ入り前、思想家とも言われる中村天風さんの書物を熟読していたのは有名な話。

その中村天風さんの「心身統一」の流れがある心身統一合気道。藤平信一さんの父・光一さん(心身統一合気道創設者)は、中村天風さんの弟子でした。

◆心身統一合気道自らを律し、相手を理解し、導き投げる武道。その稽古を通じ、心と身体の本来の使い方を習得し、持っている能力を最大限に発揮し、社会に貢献することを目的としている。

根幹である気の原理(心が体を動かす)、基本となる姿勢・動作・呼吸、相手を理解し導くことは、あらゆる分野の土台となります。そのための教育・経営・ビジネス・スポーツ・芸術など、さまざまな分野で最前線の人たちが学んでいる。日本全国に道場・教室を有し、定期講習会などで指導者の質の維持、向上に務めている。米国、欧州など世界にも多数道場がある。

光一さんに師事したのは、世界のホームラン王になった王貞治さん。心身統一合気道の姿勢や呼吸法を練習に取り入れ、大記録を達成した。

プロ4年目、なかなか芽が出なかった王さんが、当時の打撃コーチの荒川博さんに指導を受けるようになって1本足打法を開眼したが、引退するまで合気道の指導を受けていたのはあまり知られていない。

藤平さん王さんは実際に道場へ来られ、関係は深かったですね。荒川さんが「素材、能力はある選手だけど、体が前へ突っ込んでいくクセがあって、変化球に弱い。肩には力が入って、なかなか力を出せていない」ということで、道場へ連れてこられた経緯があります。

そこで父の光一が、体が突っ込むのなら、右足を上げたらどうだと指導しました。臍下の一点を意識し、心をシーンと静めて片足で立ち、そこから振り出す形が、しっくりいったようですね。

そこから荒川さんと王さんの一本足打法が始まりました。道場へ来られたのが、あの1本足打法のきっけかけになったのは間違いないです。書籍をつくった際、王さん、広岡達郎さんと3人で鼎談(ていだん)し、当時の思い出を教えていただきました。

■メジャーへの伝播

王さんは当時を振り返って、心身統一合気道の会報に、こんなコメントを寄せている。

王さん引退の年まで毎年、バットとタオルを持って、藤平先生をお訪ねしました。臍下の一点を確認して帰ると、翌日は必ず打てる確信が持てました。

僕が打つときに右足に力を入れるクセに気づき、片足で立った状態でも盤石の姿勢を指導してくれました。そして、荒川コーチの鍛錬の下、1本足打法が完成しました。

とにかく静かに、無駄な動きをなくして、やってくるボールを待つ。無意識の静止状態でバットを引いてスッと待てるようになりました。「いかに力を抜くか」ということは、野球だけをやっていたら、いつまで経っても分からなかったかなと思います。

年をとってくると、だんだん人の言うことを聞かなくなりがちですが、自分の意思で(道場へ)行っていました。迷っているところを正しくしていただく、もつれた糸をほぐしていただくためです。藤平先生は私にとって「心のお医者さん」であり、主治医のような存在でした。

メジャーリーグのドジャース、パドレスも日本の合気道を取り入れていた。

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野球

平井勉Tsutomu Hirai

Kumamoto

1967年、熊本市生まれ。1990年に入社し、プロ野球の西武、ヤクルト、巨人などを担当。米ロサンゼルス支局時代には大リーグを担当し、野茂英雄、イチローらを取材した。
野球デスク、野球部長、経営企画本部長などをへて現職。著書「清原和博 夢をつらぬく情熱のバッター」(旺文社)「メジャーを揺るがす大魔神 佐々木主浩」(旺文社)がある。