【ナベQがゆく】甲子園で打たれたあの人と再会…1兆円企業の頂に立っていた/連載Ⅰ

今季から日刊スポーツの客員評論家となった前西武GMの渡辺久信さん(59)が、ビジネス界のリーダーらと対談する企画で、総合エンターテインメント企業のマルハン東日本カンパニー社長の韓裕(はん ゆう)さん(62)と約44年ぶりの再会を果たしました。

2人は1981年(昭56)、韓さんが京都商、渡辺さんが前橋工(群馬)で夏の甲子園大会に出場。2回戦で対戦し、京都商が9回サヨナラ勝ちする縁がありました。京都商は報徳学園(兵庫)に決勝で敗れましたが、準優勝。韓さんは在日韓国人で通名(日本名)ではなく韓国名で出場したことで話題になり、渡辺さんも1年生で、最初で最後の甲子園となりました。

現在、韓さんは大企業のトップ、渡辺さんは西武の監督、GMを経験。高校時代の思い出から、お互いのマネジメント論など、ビジネスについても語り合いました。

3回に分けて連載します。

プロ野球


◆渡辺久信(わたなべ・ひさのぶ)1965年(昭40)8月2日生まれ、群馬県桐生市出身。前橋工から83年ドラフト1位指名で西武へ入団。最多勝3度、最高防御率1度、最多奪三振1度。96年6月11日のオリックス戦でノーヒットノーランを達成した。97年オフに戦力外通告を受け、野村克也監督の「再生工場」でヤクルトへ移籍。99年から台湾で選手兼任コーチを務め、01年に現役引退。04年に西武2軍投手コーチ、2軍監督を経て、08年から1軍監督に就任し、1年目に日本一。19年からGM、24年5月から監督代行を兼任。シーズン終了後に辞任、退団した。

◆韓裕(はん・ゆう)1963年4月17日生まれ、京都府峰山町(現京丹後市)出身。京都商―法大。90年、マルハンへ入社。取締役営業統括本部長、代表取締役副社長などを経て、08年に代表取締役社長に就任。21年にグループ内のカンパニー制度導入に伴い、東日本カンパニー社長となった。マルハンは57年に創業、パチンコホール、ボウリング場、アミューズメント施設、ゴルフ場、リゾート施設などを経営。現在、パチンコはグループ全体で全国312店舗。経営理念に「人生にヨロコビを」と掲げ、売上高1兆4344億円、経常利益289億円(24年3月期)。

■81年夏の甲子園 前橋工―京都商

1981年8月14日。朝8時、甲子園球場の試合開始のサイレンが鳴った。ホームベースを挟んで整列。時を経て、あの甲子園以来の再会。渡辺さんはプロ野球で活躍し、韓さんは売上1兆円を超える巨大企業のトップに―。お互い「いつか会いたかった」という見えない糸が、約44年ぶりにつながりました。

0-2で迎えた5回、京都商の5番だった韓さんは、渡辺さんから三塁線を破る強烈な二塁打を放った。先頭打者で出塁し、この回に2―2の同点とした。当時をスマートフォンに保存してきた渡辺さん。挨拶を交わすと、その映像を2人で見合った。

渡辺さんYouTubeの映像ですが、これ見られたことありますか。

韓さんいやー、見たことないですね。映像はないと思っていましたから…。

渡辺さん先頭打者で2打席目ですよね。(二塁打は)強烈な打球ですよ(笑い)。完ぺきに打たれました。

韓さん嬉しいです。甲子園で唯一のヒットですからね。今のように予選の資料や映像など相手の情報がなかった時代で、1年生投手の渡辺さんが登板すると聞いて、心底驚きました。

1打席目のこともよく覚えていて、バットのグリップの根元に当たりました(笑い)。ボールがとにかく速くて、振り遅れてショートゴロ。二塁打を打ったときは、「ボールが手から放れたら振る」と決めて、1、2、3のタイミングに合わせたら当たったという感じでした。懐かしいですね。

渡辺さん当時、直球のスピードは142、3キロ出ていたと思います。真っすぐとカーブだけでしたけど。京都商の人たちは3年生ばかりで、なんか、にらんでくる圧がすごくて(笑い)。なめられたらダメだなあと思いながら、私も1年生とはいえ、工業高校のやんちゃだったので、なめんなよー、と思いながら投げていました(笑い)。

本文残り67% (2791文字/4150文字)

野球

平井勉Tsutomu Hirai

Kumamoto

1967年、熊本市生まれ。1990年に入社し、プロ野球の西武、ヤクルト、巨人などを担当。米ロサンゼルス支局時代には大リーグを担当し、野茂英雄、イチローらを取材した。
野球デスク、野球部長、経営企画本部長などをへて現職。著書「清原和博 夢をつらぬく情熱のバッター」(旺文社)「メジャーを揺るがす大魔神 佐々木主浩」(旺文社)がある。