M―1卒業から5年…スーパーマラドーナの道 田中「2回飛ぶ」ピンチも結成20周年

スーパーマラドーナ結成20周年全国ツアーがスタートしました。既に名古屋公演(12月9日)を終え、2月から3月にかけて福岡、大阪、愛媛、東京を巡演します。「20年も芸人をやれるとは正直、思ってなかた。特にM―1には誰よりも全力で取り組んできました」と武智(45)が振り返れば、相方の田中一彦(46)は「(武智に)怒られたくない、の一心で何とか今まで来ました」と飄々(ひょうひょう)。現役コンビでも指折りの、波瀾万丈お笑い人生を2人が語りました。

お笑い

撮影・前田充

撮影・前田充

◆スーパーマラドーナNSC(吉本総合芸能学院)22期の田中一彦(たなか・かずひこ、左)と武智(たけち)によって、2003年(平15)12月にコンビ結成。11年NHK上方漫才コンテスト優勝、同年MBS新世代漫才アワード優勝、17年上方漫才大賞奨励賞。15~18年、M―1グランプリ決勝進出。

田中は1977年(昭52)10月15日、大阪府高槻市出身。趣味は人の話を聞くこと、映画鑑賞、ウオーキング。身長175センチ。武智は78年8月3日、愛媛県松山市出身。趣味はM―1、テレビゲーム、指ずもう。身長180センチ。

来年2月は福岡、大阪

初の全国ツアーのタイトルは「スーパーマラドーナ結成20周年全国ツアー なんとか、ここまで来れました」。

今後の日程は、2月18日よしもと福岡ダイワファンドラップ劇場(ゲスト・ギャロップ)、同24日大阪心斎橋パルコSPACE14(同ナイツ)、3月1日愛媛IYO夢みらい館、同9日東京ルミネtheよしもと(同ダイアン)。

武智愛媛(武智の地元)は動員がちょっと不安なので、姉にチラシを100枚郵送しました。家族ぐるみの力で満員にしたいですね。

年が明けるとTHE SECONDが始まりますが、そのためのネタを準備しなければ出られないので、エントリーについては未定です。

田中全国ツアーといっても、僕はいつもどおりです。仕事の1つと考えてますから。とはいえ、20年間で僕は2回飛んで(失踪して)いるのに、何とか家を建てることもできて、相方には感謝しています。

両極端な個性はマンガ?

2人の個性は両極端。けんかが強そうな武智に対し、いかにも弱そうな田中。体格もがっちり型の武智、ひょろっとした田中。

舞台上でも武智がぐいぐい引っ張り、田中はおどおどと付いていくスタイル。そんな二人が歩んできた漫才道は、マンガのようにドラマチックだ。

結成は2003年。NSC(吉本総合芸能学院)22期の同期生だが、当初は別のコンビ、トリオで活動していた。

トリオ漫才で鳴かず飛ばずだった武智が「ここままじゃあかん!」と一念発起。自らネタを書いてみたところ、他の二人からNGを出され、解散した。

たまたま武智の手元で分かる連絡先が、同様にコンビを解散したばかりの田中だった。「スーパー」の付かない「マラドーナ」としてコンビ結成。

武智03年のbaseよしもと(若手芸人の劇場)のイベントで勝ち抜いたんです。でも、いざ舞台に出てみると、まるで受けない。月に5回、5分ネタを披露するんですが、1年間笑いが起こらなかった。

1年笑いなし駆け出し時代

当時人気のあった先輩コンビをオーディションで破って、結果的に彼らを解散に追い込んだことで、ファンの不興を買った部分もあった。

せっかくの晴れ舞台・なんばグランド花月(NGK)では、マラドーナが登場していくと客席の3分の1がトイレに向かう始末。

危機感を抱き、ネジを巻き直して漫才に取り組んだところ、04年のM―1グランプリでは準決勝に進出。「ダメなら辞めるしかない」と追い込まれたマラドーナの意地だった。

徐々に舞台出演も増え、上昇気流に乗れたか、というタイミングで、予想外のハプニングが起こった。

07年末、武智のスパルタに耐えかねた田中が突然、姿を消したのだ。武智は途方に暮れた。

田中相方に怒られるばかりで、毎日がイヤだった。「芸人を辞めたい」という思いが強くなって、飛んでしまいました。

やがて、祖父の実家のある鳥取に身を寄せていた田中をマネジャーが説得。しかし、田中は「芸人を辞める」と引退表明。マラドーナは解散するしかなかった。

ところが、田中の芸人引退はウソだった。

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エンタメ

三宅敏Satoshi Miyake

Osaka

大阪市生まれ。1981年に日刊スポーツ入社。
主に芸能ニュース、社会ニュースの記者・デスクを務める。
2011年に早期退職制度で退社。その後は遊んで暮らしていたが、2022年から記者として復帰。吉本のお笑い芸人などを取材している。
好きなものは猫、サッカー、麻雀、ゴルフ。身長171センチ。