【令和版スクール☆ウォーズ〈下〉】伏見工の山口良治に教え請い「東福岡倒し花園に」

人はみな夢や憧れを抱く。ただ、それを実現できる人はそう多くはない。「小さい頃からコンプレックスがあった」。そう明かした不登校で体の小さなラグビー選手は、いかにして全国制覇を目指すようになるのか―。浮羽究真館高ラグビー部・吉瀬晋太郎監督(36)の第2章。上下編の下。(敬称略)

ラグビー

テレビで見た泥だらけ京産大の衝撃

高校3年の時、福岡県予選で東福岡に0-133で大敗した吉瀬は、林業に進む当初の未来図を変える。

「僕は小さい頃から、人とは違ってコンプレックスがあった。学校にも行けませんでした。世間から遠く離れたくて、本気で樵になろうと考えていた。でも、どこかで世間に未練があった。ラグビーに未練があったんです。

今でも覚えています。東福岡の選手の筋肉と顔つき。同じ高校生だけど、同じ高校生ではなかった。ラグビーの高みに触れた気がしました。彼らと戦って、もう1度、日本一を目指すことができるのならば、人生をかけてそこにたどり着いてみよう。そう思ったんです」

その頃、たまたまNHKで放送していた関西大学ラグビーの試合を見た。同志社大学と京都産業大学が優勝をかけて戦っていた。

雨の京都、宝ケ池球技場。ふと映し出された映像に心を奪われた。

「当時も同志社は大学のスター選手がそろっていて、それに打ち勝とうと京産大の選手は足首にタックルを繰り返していたんです。京産大の監督はブレザー姿のままずぶぬれでグラウンドに立っていた。宝ケ池は枯れた芝で、選手も監督も泥まみれ。その光景に衝撃を受けました」

受験勉強はしていなかった。覚悟を決めると寝る間も惜しんで机に向かった。

「目が開いている間はずっと勉強をしました。入れれば学部はどこでも良かった」

一般入試で京産大法学部と東海大に合格。迷うことなく京産大を選んだ。

たたき上げの精神で無名の選手を強化する「雑草軍団」とはいえ、スポーツ推薦で入学してくる部員がほとんど。その年、一般入試で入部したのは2人だけ。吉瀬と、1浪して入学したCTBの石蔵義浩。福岡の名門・筑紫丘高校出身でオール福岡に入るほどの選手だった。

推薦の「セレ組」には、後に日本代表としてW杯に出場するプロップの山下裕史。1学年上には、同じく日本代表になるSH田中史朗がいた。

「お前が一般入試で来たヤツか。練習の邪魔になるから、山を走ってこい」

どうせ音を上げて、すぐ辞めるだろう。先輩からはそう思われていた。

タックルバッグを持って選手を指導する浮羽究真館高の吉瀬晋太郎監督

タックルバッグを持って選手を指導する浮羽究真館高の吉瀬晋太郎監督

一般入試で入部、マネ宣告乗り越え1軍つかむ

1軍にあたるAからDチームまであった。それに入れない選手はひたすら走るだけ。特に、鴨川の源流がある雲ケ畑までの走り込みは部員を震え上がらせた。山の中腹からはグラウンドが見える。他の部員が「日本一厳しい」とされる過酷な練習をしている光景すら、うらやましく思えた。

2年になる春、卒業する4年生から告げられた。

「お前は選手としては無理やから、マネジャーになった方がいい。主務をしてくれへんか」

吉瀬はこう答えた。

「どうしても選手としてうまくなりたいんです。お願いです、やらせてください」

その日から、今まで以上に練習をするようになる。

まだ薄暗い中での朝練から始まり、授業を経て、放課後は夜まで練習が続く。みんながクタクタになって寮に戻ってからも、居残りをした。唯一の休日となる月曜日でさえ1人で朝から筋トレをし、雲ケ畑まで走った。

58キロしかなかった体重は73キロまで増えた。2年でBチームに入るようになり、3年になるとついにAチームのメンバーに選ばれる。

体の細い、一般入試で入った選手は、ひたむきな努力で1軍にはい上がり、伝統のジャージーを着ることとなる。2006年のことだった。

そのシーズン、京産大は全国大学選手権で9季ぶりに4強入りする。2007年1月2日の準決勝。早稲田大学に12-55で敗れるが、大観衆の国立競技場は記憶に刻まれた。SHに田中、プロップに山下、2年生フランカーには後に神戸製鋼で主将となる橋本大輝。

その控え選手に、背番号22の吉瀬はいた。

卒業後はハウスメーカーに就職し、ラグビーから遠ざかった。しかし日本一を目指してきた情熱は薄れるどころか、より強くなる。1年半で退職。

高校のラグビー部を率いて全国制覇を目指すことを決めたのは、この頃だった。

編集委員

益子浩一Koichi Mashiko

Ibaraki

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。