【スクール☆ウォーズ 外伝】定年迎えた「京都一のワル」いまだ恩師の背中追う

かつて「京都一のワル」と呼ばれた男が定年を迎えた。60歳を過ぎた今でもなお、恩師である伏見工元監督山口良治の背中を追い続け、ラグビーの指導を続けている。 (敬称略)

ラグビー

試合後に会場の外に選手を集め「胸を張って帰ろう」と語りかける奈良朱雀の山本顧問(撮影・益子浩一)

試合後に会場の外に選手を集め「胸を張って帰ろう」と語りかける奈良朱雀の山本顧問(撮影・益子浩一)

泣きじゃくる選手抱きしめ

奈良の木々は赤く色づきつつあった。稲刈りを終えた田んぼのあぜ道には、熟した柿が実る。どこか遠くから野焼きをする、焦げたにおいが流れていた。

21年11月14日。奈良・天理駅から山側へ、30分ほど歩いたところにある田園に囲まれた親里球技場。全国高校ラグビーの奈良県予選準決勝は、御所実-奈良朱雀の顔合わせになった。

奈良朱雀で顧問を務める山本清悟は、控え選手がいるベンチから少し離れた、観客席の下にある長椅子に腰を下ろして試合を見守った。60歳になり、今年の春に定年退職。嘱託再任用で学校に残り、監督から顧問に肩書が代わった。選手のいるベンチには座らず、これまでより1歩引いていたのは、今年から監督を任せる中瀬古祥成(よしあき、48)への山本なりの配慮だったのかも知れない。

相手は花園で準優勝4回の強豪である。つい2シーズン前にも全国で決勝に進んでおり、大差で敗れてもおかしくはない。大方の予想を覆したのは、長い年月をかけ、山本が生徒の「心」を鍛えてきたからだろう。

先手を奪ったのは奈良朱雀だった。前半6分、中央付近での攻防。体を張ったプレーで御所実からボールを奪うと、FB植本友輔(3年)に渡り、自陣10メートルライン付近からインゴールまで走りきった。

客席に集まった人たちが沸く。それは歓喜というよりも、驚きのようなどよめきだった。山本も我を忘れたかのように立ち上がり、タッチライン際まで飛び出していた。先制トライを挙げ、前半は5-17で折り返す。後半、続けてトライを許しはしたが、何とか一矢報いようと踏ん張っていた。

御所実陣内で攻撃を仕掛ける奈良朱雀(撮影・益子浩一)

御所実陣内で攻撃を仕掛ける奈良朱雀(撮影・益子浩一)

終盤にゴール目前まで攻め込みながらも、取り切れずにカウンターにあう。後半ロスタイム。再び相手陣内に深く入り、ゴール前5メートルでのラインアウトになった。

「もう1本や!。お前ら、1年間やってきたことを出してみぃ」

山本の声が響く。あと3メートル、あと1歩。必死にトライを目指す奈良朱雀の選手たちに、ゴールラインは見えていた。しかし…。

最後、ミスからボールを渡し一気に走られた。

直後にノーサイドの笛が響く。

スコアは5-65。相手は1週間後の決勝でも28-5で天理高に勝ち、3大会連続14度目の全国大会出場を決めた。この冬もまた、花園で優勝候補に挙がる。

ただ、点差ほどの差はなかった。これほどの得点差になったのは、経験値やそれに裏付けされた自信とでも言うのだろうか。その差だった。

「ごめんなさい、ごめんなさい」-

泣きながら引き上げてくる選手を、山本は強く、抱きかかえた。

御所実に敗れ「すいません」と泣く選手(右)をなぐさめる奈良朱雀ラグビー部の山本清悟顧問(撮影・益子浩一)

御所実に敗れ「すいません」と泣く選手(右)をなぐさめる奈良朱雀ラグビー部の山本清悟顧問(撮影・益子浩一)

胸を張って帰ろうや

「謝らんでええ。お前、何で謝るんや。やれたやないか! 体張って、ええ試合ができたやないか。こんなええもんを、ワシに見せてくれたやないか」

ロッカー室に選手全員が入ったのを見届けると1人、スタジアムの外に出た。片隅でタバコをくゆらせる。しばらくすると、そこに着替えを済ませた部員が集まってきた。この試合で引退する3年生にとっては、最後のミーティング。山本の口調は穏やかだった。

「みんな、頑張ってディフェンスをしていたと思う。あれで最初のトライが生まれたんやで。たった1つのトライやけどな、これが次につながるトライなんやで。試合に出られなかったヤツらも、スタンドの人たちも拍手喝采や。感動したと思う。みんなが必死になっている姿に、感動したんやで。胸を張って帰ろうや。おい、1年と2年、今日のゲームを見て感じたこと。絶対に忘れたらアカンで」

思えば、山本が“恩師”と慕うあの人もそうだった。

伏見工業ラグビー部の監督だった山口良治は、強豪に敗れた選手にこう声をかけた。

「ようやった。体を張って、前より(失点を)半分に抑えたやないか。お前らは、やればできるんやで」

ドラマ「スクール☆ウォーズ」でも描かれた名場面。1975年5月17日の京都府春季高校総体で、まだ弱小だった伏見工は前年度に全国準優勝した花園高校に0-112で大敗する。山口が「お前ら悔しくないのか! 相手は同じ高校生やないか」と拳を上げたその半年後のことだった。

猛練習を積んだ伏見工は秋に花園高と再戦し、3-53で再び敗れる。また殴られることを覚悟した選手たちにかけたのが、「お前らは、やればできるんやで」という言葉だった。

そして、0-112の大敗から1年後に、伏見工はついに花園高を18-12で破って京都の頂点に立つ。ちょうど、山本が伏見工に入学した春のことだった。

当時のことを、山本はこう振り返っている。

「人間、ひたむきに行動している姿って、格好ええなと思いました。苦しくて泣いたことはあったけれど、うれしくて泣いたことはなかった。美しいなと、純粋に感じていました」

かつて“京都一のワル”と呼ばれたほどの不良だった山本は、60歳を過ぎた今でもなお、恩師である山口の背中を追い続けている。

編集委員

益子浩一Koichi Mashiko

Ibaraki

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。