【朝乃山を追う:2025年2月〈上〉】「裸でぶつかり合うのが、こんなに楽しい」

昨年7月の大相撲名古屋場所で、左膝に大けがを負った大関経験者の朝乃山(30=高砂)が、1月の初場所を全休しました。同9月の秋場所から、3場所連続の全休。それでも2月8日に相撲を取る稽古を再開しました。

昨年7月17日の名古屋場所4日目、一山本戦に敗れた際に左膝前十字靱帯(じんたい)断裂などの大けがに見舞われて以来、206日ぶりの相撲でした。

初場所後には部屋が移転。入門以来、過ごしてきた故人の先代高砂親方(元大関朝潮)が設立した部屋を離れました。春場所(3月9日初日、エディオンアリーナ大阪)出場に向けた、昨年12月からの足跡を上、下2回で紹介します。「上」は、相撲を取る稽古を再開した、2月8日の様子を詳報します。

大相撲

2月8日、大けがした左膝に大きなサポーターを施し、相撲を取る稽古を再開した朝乃山(右)。左は三段目の朝心誠

2月8日、大けがした左膝に大きなサポーターを施し、相撲を取る稽古を再開した朝乃山(右)。左は三段目の朝心誠

206日ぶりに相撲を取った

午前9時3分。三段目の申し合いが続いていた土俵に、朝乃山が入っていった。

5分ほど前から土俵周りに立ち、タイミングをうかがっていた。朝大洞が目の前で勝ったところで、次の相手に名乗り出て指名された。土俵周りで四股やすり足など、基礎運動をしていた他の力士たちも、自然と動きを止めて見入っていた。

注目の立ち合い。

鋭い踏み込みは、大けがする前と変わらなかった。胸から当たって圧力をかけ、すぐに左の浅い位置で上手を取って右をねじ込んだ。下手も引いて盤石の体勢。「強い朝乃山」の形で、自身よりも大きな189センチ、180キロの朝大洞を一方的に寄り切った。

朝乃山最初の一番は怖かったですね。緊張もしました。でも(その後は)ちょっと楽しくなってきて。半年ぶりで、きつかったですけど。でも、相撲を取っていくためには。まわし1つで、裸でぶつかり合うのが、こんなに楽しいんだなと思いました。

朝乃山(右)と朝心誠

朝乃山(右)と朝心誠

全勝だった9番の相手と決まり手は以下の通り(砂坂は昨年の全国高校総体個人戦8強で初場所は前相撲。他はいずれも三段目)


番数相手決まり手
1朝大洞(寄り切り)
2朝心誠(押し倒し)
3朝 翔(押し出し)
4砂 坂(寄り切り)
5朝気龍(押し出し)
6朝 翔(寄り切り)
7朝大洞(寄り切り)
8朝心誠(押し出し)
9砂 坂(寄り切り)

入門間もない砂坂はもちろん、同部屋といっても、初めて相撲を取る力士も多かった。朝気龍もその1人。朝大洞とは対照的に169センチ、90キロと小柄で、スピードがあって、下に潜り込んだり、離れて取ったりと、多彩な動きをする相手も対応した。左右に動かれても、体を正面に置いて、まわしにこだわらず突き、押しで土俵外に追いやった。

朝乃山(中央右)と朝気龍

朝乃山(中央右)と朝気龍

朝乃山(朝)気龍が新弟子で入った時に、僕はもう関取だったので、稽古でやるのは今日が初めてでした。ぶつかりとかでは、けっこう胸を出していたんですけど、相撲を取ったのは初めて。動きが良くて、今日の稽古の目的の1人。僕も「膝、大丈夫かな?」と不安でした。だからこそ膝にはもってこいの相手。ああいう速い力士は、三段目にも何人かいるので。いい相手です。(朝)気龍からしても、場所で僕みたいな体重、体形の人はたくさんいますから、稽古からやっていけば、自信がついてくるんじゃないですか。

「クマに見えました。化け物ですよ」

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1999年入社。スポーツ部ではサッカー(1)→バトル→五輪→相撲(1)→(5年半ほど他部署)→サッカー(2)→相撲(2)→ゴルフと担当。他に写真部、東北総局、広告事業部にも在籍。
よく担当や部署が替わるので、社内でも配った名刺の数はかなり多い部類。
数年前までは食べる量も社内でも上位で、わんこそばだと最高223杯。相撲担当になりたてのころ、厳しくも優しい境川親方(元小結両国)に「遠慮なく、ちゃんこ食っていけ」と言われ、本当に遠慮なく食べ続けていたら、散歩から戻った同親方に「いつまで食ってんだ、バカヤロー!」と怒られたのが懐かしいです。26年4月に文化社会部へ。