大の里「千秋楽の前夜に、LINEを親方からいただいて」/優勝一夜明け会見全文

春場所で3度目の優勝を飾った大関大の里(24=二所ノ関)が、千秋楽から一夜明けた3月24日、会場の大阪市・エディオンアリーナ大阪で会見しました。千秋楽は本割で琴櫻との大関対決を制し、前頭高安との優勝決定戦を制して賜杯を抱きました。次の夏場所(5月11日初日、東京・両国国技館)で2場所連続優勝、またはそれに準ずる成績を残せば「第75代横綱」に昇進の見通し。一夜明け会見の一問一答を、全て紹介します。

大相撲

大勢の報道陣に囲まれながら一夜明け会見に臨む大の里(撮影・小沢裕)

大勢の報道陣に囲まれながら一夜明け会見に臨む大の里(撮影・小沢裕)

「びっくりするぐらい落ち着いていました」

―おめでとうございます。今朝の目覚めはいかがでしたか

大の里いや本当に、はい。よく眠れて、はい、目覚めましたね。

―何時ぐらいにお休みに

大の里昨日はいろいろと、疲れたのもあったので、すぐに。12時ぐらいには寝ましたね。

―気分良く眠れて

大の里そうですね、はい。

優勝決定戦で大の里(右)は高安を送り出しで破り幕内優勝を飾る(撮影・小沢裕)

優勝決定戦で大の里(右)は高安を送り出しで破り幕内優勝を飾る(撮影・小沢裕)

―大関で初めての優勝ということで、あらためて振り返っていかがでしょうか

大の里やっぱり、大関に上がった時から、この2場所ですけど、本当に、まあ…。「何してるんだろう」という、情けない場所が続いた中で、大関という地位のプレッシャーというか、重圧に負けていた、この2場所でもあって。思うような成績も残せないし、思うような相撲も取れない中でしたし、まあ、その中で1月場所を終えてから、2月は本当に、しっかりと稽古をしたつもりでもあって、その成果が出たのはうれしいですね。

―新大関から2場所は、今だから言えるとかで、体も万全ではなかったですとか、そういったことはあったのでしょうか

大の里いやぁ…。やっぱり新大関として迎えた九州場所は(場所前の)巡業の離脱もあって、体調面も良くない中で、なんとか一応、勝ち越しはできて。そこの反省を生かして迎えた1月場所は、2桁(白星)には届きましたけど、前半戦で失速して、早い段階で優勝争いから脱落したという、悔しい場所を経験して、今回、本当に、いろいろと親方と試行錯誤して。で、そうですね。今回の場所を迎えるにあたって、結果が出たというのはうれしいですね。

大の里(左)から水をつけてもらう師匠の二所ノ関親方(撮影・小沢裕)

大の里(左)から水をつけてもらう師匠の二所ノ関親方(撮影・小沢裕)

―先場所までの2場所と比べても、しっかりと稽古を積んだという精神面でも違いはありましたか

大の里やっぱり。「もう貯金はないぞ」ということを言われて、はい。もう貯金はないと言われたので、あとはやっぱり稽古するしかないということを言われて。しっかりと、大阪に入ってからも、大阪に入る前も、しっかりと自分なりには稽古はしてきたと思うので。その成果が出たんじゃないかなと思いますね。

優勝一夜明け会見に臨む大の里(撮影・小沢裕)

優勝一夜明け会見に臨む大の里(撮影・小沢裕)

―今場所は後半に入って10日目、13日目に敗れ、2度追いかける展開になりましたが、優勝に向けてのターニングポイントは、今振り返るとどこになりますか

大の里でも本当に、3敗した時点で、自分の中で優勝はないと思っていましたし、ないものだと思って、場所(会場)にも来まして。その中で、3敗した時点で、マックス勝って12勝に届くということで、信じて、まあ12勝すれば、何か違うと自分で思いましたし。11番、10番より、12番勝った方が響きもいいですし。本当に優勝ということを、チラつかせないようにして。とにかく12番勝って、来場所に向けての、はい、えー…。に、目標を変えましたね。

―それは13日目、王鵬関に負けた後に、師匠といろいろと話して

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1999年入社。スポーツ部ではサッカー(1)→バトル→五輪→相撲(1)→(5年半ほど他部署)→サッカー(2)→相撲(2)→ゴルフと担当。他に写真部、東北総局、広告事業部にも在籍。
よく担当や部署が替わるので、社内でも配った名刺の数はかなり多い部類。
数年前までは食べる量も社内でも上位で、わんこそばだと最高223杯。相撲担当になりたてのころ、厳しくも優しい境川親方(元小結両国)に「遠慮なく、ちゃんこ食っていけ」と言われ、本当に遠慮なく食べ続けていたら、散歩から戻った同親方に「いつまで食ってんだ、バカヤロー!」と怒られたのが懐かしいです。26年4月に文化社会部へ。