【三田・新十両昇進会見】「独特の存在になりたい」 二子山親方が指摘「独特の感性」

日本相撲協会は3月26日、夏場所(5月11日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議を行い、西幕下4枚目の三田(23=二子山)の新十両昇進を発表しました。近大では23年全日本学生選手権で、主将として13年ぶり団体優勝をけん引。だが同年11月に左膝の前十字靱帯(じんたい)断裂などの大けがを負い、初土俵は昨年秋場所と遅れました。それでも幕下最下位格付け出しの初土俵からは、所要4場所でのスピード昇進。3月の春場所は2連敗スタートも、三番相撲からは全勝で5勝2敗の好成績でした。師匠の二子山親方(元大関雅山)が同席し、春場所が行われた大阪市のエディオンアリーナで行われた、新十両会見の全一問一答を紹介します。

大相撲

新十両会見で笑顔で師匠の二子山親方(右)と握手を交わす三田

新十両会見で笑顔で師匠の二子山親方(右)と握手を交わす三田

いずれは「雅」が付くしこ名を

―おめでとうございます。まずは、今の気持ちをお願いします

三田素直にうれしいです。

―春場所の成績で、ある程度、手応えがありましたか

三田はい。

―あらためてどうでしょう

三田やっぱり正式に決まるまでは、少しそわそわしていたんですけど、正式に決まってからは、これから頑張っていかなきゃいけないなっていう気持ちになりました。

―初土俵から所要わずか4場所で十両をつかみましたけど、これについては。

三田順調にきてるなっていうふうには感じてます。

―ご自分としては目標の範囲内ですか

三田はい、そうです。

角界入りを発表した時の三田(左)と山崎(2024年3月5日撮影)

角界入りを発表した時の三田(左)と山崎(2024年3月5日撮影)

―入門時はどんな目標だったのでしょうか

三田2年以内に関取というふうには考えてたんですけど。順調にこれました。

―2年以内よりも、かなり早いと思いますが

三田はい。

―この早い出世につながった要因は何だと思いますか

三田そうですね。やっぱり…。稽古環境がすごく良くて、伸び伸びできてるっていうのがあります。

―もう少し、その稽古環境について教えていただければ

三田そうですね。稽古して…。関取、狼雅関と生田目関がいて、ぶつかりも胸を出していただいたりで。トレーニングジムも師匠の方から通わせていただいてるので、どんどん体が変わってきてるなっていうのはあります。はい。

2024年秋場所初日、初土俵を踏んだ三田(2024年9月8日撮影)

2024年秋場所初日、初土俵を踏んだ三田(2024年9月8日撮影)

―初土俵を踏んでから体重も増えましたか

三田はい、増えました。

―具体的には

三田8キロぐらい増えました。

―体つきも変わって

三田そうですね、だいぶ厚みが増してきたというか。

―そのおかげなのか、春場所ももちろんですけれども、初場所、春場所と、急激に力をつけてきたように見えましたが

三田場所前、毎日、狼雅関に胸を出してもらって、押す力がついてきて、自信になってました。

生田目(2025年1月19日撮影)

生田目(2025年1月19日撮影)

―先ほど、もう1人、名前の挙がった生田目関は同学年の幼なじみ。生田目関の存在はどうでしょう

三田だいぶ大きいですね。やっぱり、その…。最後、千秋楽の前の日も、ずっと声を懸けてくれて、いろいろ教えてくれたんで、だいぶ助かりました。

―千秋楽、七番相撲で、あと1番勝つのと負けるのでは、だいぶ違ったと思いますが、その辺の思いはどうだったですか

三田けっこう緊張してたんですけど、師匠からもお言葉をいただいて、だいぶ気持ちが楽になったというか。やっぱり生田目関にも、いろいろ話を聞いて、気持ちが…。緊張というよりは「やってやる」っていう、そういう感じになることができたんで、自信を持ってやることができました。

―最後は十両の土俵での相撲でした。初めて十両の土俵で相撲を取りましたが、どんな思いだったでしょうか

三田やっぱり、全然いつもとは違う感じだったんで、緊張したんですけど、手をついてからは、もう緊張とかはなくて「やってやる」っていう、その気持ちだけでとってました。

春場所千秋楽、西幕下4枚目の三田は送り出しで大辻を下し5勝目を挙げた(2025年3月23日撮影)

春場所千秋楽、西幕下4枚目の三田は送り出しで大辻を下し5勝目を挙げた(2025年3月23日撮影)

―新十両の大辻関に勝ちましたが、その瞬間はどうでしたか

三田うれしかったんですけど、一番はホッとしたというか。そっちの方が大きかったです。

―その「ホッとした」ということについて、もう少し教えていただければ

三田やっぱり、勝つか負けるかで全然違うんで。勝たなきゃいけない勝負だったんで、すごいホッとしました。

―来場所からは、あの土俵に毎日上がるわけですが、どうですか

三田15日間、まずは土俵に上がりきることと、しっかり勝つことを意識して15日間取り組みたいです。

―全然違う雰囲気のあの場所に

三田やっぱり15日間、勝っていかなきゃ、どんどん番付が上がらないんで、勝つことだけを意識して15日間戦っていきたいです。

―余裕はなかったかもしれませんが、千秋楽、見える景色は違いましたか

三田そうですね。あんまり、もう、全然周り見えてなくて。相手しか見えてなかったんで、来場所はしっかり、そういうのも見ながら場所に慣れていきたいです。

―しっかり景色も見て

三田はい。

―千秋楽に勝って、花道の奥で師匠と熱い抱擁を交わしたと聞きましたが

三田うれしかったです。はい。

―その際に取材で囲まれて「師匠に恩返しをしたかった」という言葉がありましたが、この恩返しという言葉をもう少し教えてください

三田小さい時からお世話になっていて。大学に入ってからも、ずっと声を懸けていただいて。で、ケガをして、手術の場所だったりとか、リハビリの先生だとか、いい病院とかを紹介していただいて、膝が万全な状態になってきたんで、そういう面で恩返しをしたくて。1日でも早く。今場所できて本当によかったです。

―三田関というと、入門直前の左膝のケガがあったわけですけど、苦しかったのではないですか。

三田そうですね、苦しかったです。

―同学年あるいは同期、次々と初土俵を踏んでいくわけですが、焦りはありませんでした

三田焦りは、もちろんあったんですけど、ケガを治すことを優先していました。リハビリに取り組んでいました。

―それだけに初土俵を踏んだ時は「やってやろう」という思いが

三田そうですね、やっぱりありました。

近畿大学卒業式で体育賞を受賞した相撲部の三田(2024年3月23日撮影)

近畿大学卒業式で体育賞を受賞した相撲部の三田(2024年3月23日撮影)

―先ほど、ケガの時の師匠のお話がありましたけど、何か言葉を、声をかけてもらったのですか

三田はい、かけてもらって、はい。本当、ケガした時は、もう(相撲界に)行くのをやめようかなって、ちょっと自分の中では思ってたんですけど、声かけもらって、もう1回、一からやり直そうという気持ちになりました。

―具体的には、どんな言葉をかけてもらったのですか

三田ケガしても上がってる人はたくさんいるんで、そういうことを声かけてもらって、やっぱり自分も「もう1回やり直そう」っていう気持ちになりました。

―先ほど、生田目関と同学年というお話でしたが、春場所を新十両で優勝した草野関も同学年。これも大きな刺激になりましたか

三田そうですね、なりました。

―どんな思いで、これまで見てきたのですか

三田そうですね。やっぱり、十両に上がって、ずっと連勝してたんで、自分も早く戦える場所に行けるように、行きたいなっていうふうには思いました。

―今場所は西幕下4枚目に番付を上げてチャンスの場所。どんな思いでこの場所に臨んだのでしょうか

三田今場所で決め切りたいなっていうのはありました。

―「今場所で」というのは、特に理由があったのですか

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1999年入社。スポーツ部ではサッカー(1)→バトル→五輪→相撲(1)→(5年半ほど他部署)→サッカー(2)→相撲(2)→ゴルフと担当。他に写真部、東北総局、広告事業部にも在籍。
よく担当や部署が替わるので、社内でも配った名刺の数はかなり多い部類。
数年前までは食べる量も社内でも上位で、わんこそばだと最高223杯。相撲担当になりたてのころ、厳しくも優しい境川親方(元小結両国)に「遠慮なく、ちゃんこ食っていけ」と言われ、本当に遠慮なく食べ続けていたら、散歩から戻った同親方に「いつまで食ってんだ、バカヤロー!」と怒られたのが懐かしいです。26年4月に文化社会部へ。