【宮城改め宮乃風・新十両昇進会見】「なんくるないさー」とかあんまり言わない…

日本相撲協会は3月26日、夏場所(5月11日初日、東京・両国国技館)の番付編成会議を行い、沖縄県出身で東幕下筆頭の宮城改め宮乃風(26=中村)の新十両昇進を発表しました。日体大では団体戦のレギュラーではなく、172センチ、118キロの小兵。それでもウエートトレーニングなどで筋骨隆々の体をつくり上げ、21年夏場所の初土俵から4年での悲願達成となりました。昨年11月の九州場所から3場所連続、3勝3敗で七番相撲に臨みながら、わずかに逃し続けた関取の座をつかみました。新たなしこ名は本名の宮城の「宮」と、入門時の師匠で先代尾車親方の元大関琴風の「風」が由来。師匠の中村親方(元関脇嘉風)が同席し、春場所が行われた大阪市のエディオンアリーナで行われた、新十両会見の全一問一答を紹介します。

大相撲

運命の北勝富士戦

―おめでとうございます。まずは、今の気持ちからお願いします

宮乃風素直にうれしいですね、はい。

―そちらに色紙がありますが、しこ名を付けたのですよね。ご紹介いただけますか

宮乃風はい。「みやのかぜ」に決めました(立ち上がって「宮乃風」と書かれた色紙を披露)。

新十両会見に臨んだ宮城改め宮乃風(撮影・高田文太)

新十両会見に臨んだ宮城改め宮乃風(撮影・高田文太)

―では、お座りいただいて。あらためて「宮乃風」のしこ名をご紹介いただけますか

宮乃風自分の名字の宮城の「宮」を1文字。あとは尾車部屋に最初、入門したので(先代)尾車の琴風から「風」をいただきました。

―これは師匠につけていただいたのですか

宮乃風まあ、両親とも話し合って、師匠といろいろ相談したんですけど、はい。最終的には自分で。

―関取に昇進したら、このしこ名を付けようと

宮乃風そうですね。いろいろ候補があって、やっぱり沖縄なので、沖縄に由来したしこ名など、いろいろ両親も考えてくれたんですけど。まあ、僕が「風」を入れたいっていうことだったので、それに決めました。

新十両会見に臨んだ宮城改め宮乃風(左)と中村親方(撮影・高田文太)=2025年3月26日、大阪・エディオンアリーナ

新十両会見に臨んだ宮城改め宮乃風(左)と中村親方(撮影・高田文太)=2025年3月26日、大阪・エディオンアリーナ

―師匠は、この「宮乃風」のしこ名についてはどうでしょうか

中村親方(以下、師匠)これから育てていく名前なんで。でも、私も師匠から「風」をいただきましたし。今までですね、いろんな選択をしてくるのに、責任感と、なんていうか、その人の期待に応えたいという気持ちが強くて、なかなか自分でいろんなことを決断することができないままここにきたんで。このしこ名に関しても、相談をされたんですけど、もう今回は一切、自分の手を入れずに、自分で決めるというか、名前を変えるっていう地位をつかんだので、自分へのご褒美として、自分で名前を選んだらいいんじゃないかっていうことで。なので自分も「みやのしろ」とか「みやのかぜ」とか、いろんな。本人は昔、嘉風の「嘉」をいただきたいなんて言ってくれたんですけど、でも、いろんなことを自分で考えて悩んで、自分で決めろってことで。これを大きく自分で育てていけば、いいと思います。

―このしこ名は、関取に上がったら、という思いがずっとあったのでしょうか

宮乃風そうっすね、まず上がるまでは、まず宮城で取って。やっぱり上がったら、しこ名がほしいと思ったので、まあ、よかったなと思います。

―春場所についてお聞きします。11日目に負けて、3勝3敗になりました。どんな思いでした。

宮乃風またそうっすね。やっぱり、11月、九州場所で悔しい思いをして、もうこのまま上がれないのかなって思ったりしたり、不安な気持ちもあったんですけど。まあ、いい経験ができたので九州場所。それで1月場所も、多少の緊張はあったんですけど、自分の相撲取れていて。1月場所もやっぱり、上がるか上がれないかってところまできて上がれなくて。今場所はやっぱり、もう「三度目の正直」じゃないですけど、より気持ちが高まっていたので、やっぱり、上がった時はもう、素直にうれしかったです。

―3勝3敗に3度なったわけですが、師匠から何かアドバイスはありましたか

宮乃風まあ、そうですね。負けてもまた来場所、昇進のチャンスもありますし、いつも通り楽しく、自分の相撲と取れれば大丈夫だということを言っていただいたので。少し緊張もあったんですけど、体が動いてくれて。そうですね。よかったと思います。

―勝ち越しを決めた14日目ですが、勝った瞬間、どうだったでしょうか

宮乃風なんかもう、ちょっと信じられなくて、ちょっとフワフワしてたんですけど。(対戦相手で11敗目を喫した十両北勝富士が)大学の先輩でもあったので。で、ちょっと(北勝富士が)膝も痛めて。あまり喜べないというか、複雑な感情だったんですけど、花道に親方がいて。やっぱりついてきてよかったかなっていう思いと、やっぱり入門してよかったなっていう気持ちがありました。

東幕下筆頭の宮城(左)は北勝富士を送り出しで破り勝ち越し、来場所の新十両昇進を引き寄せ、天を見上げる(撮影・西尾就之)

東幕下筆頭の宮城(左)は北勝富士を送り出しで破り勝ち越し、来場所の新十両昇進を引き寄せ、天を見上げる(撮影・西尾就之)

―北勝富士関に勝った瞬間、なんとも言えない喜びでもなく、悲しみというか、表情でしたけど。そういう表情だったわけですか

宮乃風そうですね。うれしい気持ちと、よく分かんない感じだったんですけど、ちょっといったん、勝ち名乗りを受ける前に下で待機された時に、ちょっと複雑な気持ちになって。でも勝負の世界なので、これから頑張るんだっていう気持ちになりました。

―関取の座をつかむまで、入門からおよそ4年でしたけど、振り返ってどうでしょうか

宮乃風自分的にはもう、上出来かなって思いまし思いますけど、親にも3年たってダメだったら帰ってこいっていうふうな声も懸けられていたので、少しプレッシャーはありつつも、でもやっぱり(幕下)15枚目をずっと行き来してたので、もう上がれないと帰れないという気持ちだったので、なんとかよかったです。

―そうすると、関取の中では特に長いとは感じてない

宮乃風そうですね。大学の時も特に、実績があったわけでもないですし、日体大の時もレギュラーじゃなかったので、やっぱりそこに関してはやっぱり親方の指導で強くなって。もう心の持ちようとかも、全て変わったと思ってるので、自分的にはもう全然、遅いとかそういうのはないなと思います。

新序出世披露に臨む宮城(2021年5月16日撮影)

新序出世披露に臨む宮城(2021年5月16日撮影)

―関取昇進をつかんだ転機みたいなものはありますか

宮乃風いや、特に。でも相撲の技術とかそういう稽古面よりも、やっぱり、気持ちの持ちようだとか考え方も、やっぱり親方とこう1番1番、取組が終わった後にコミュニケーションを取ったりして。やっぱり相撲の稽古もそうなんですけど、やっぱり、そういうコミュニケーションを取ってどうしたり、そういうのがやっぱり、一番強くなると思います。

―去年の6月に中村部屋が設立されたわけですが、そこから目覚ましい成績ですね

宮乃風それもそうっすね。親方とより、そうっすね、親密にこう、連絡を取り合ってじゃないですけど。やっぱ、このコミュニケーションじゃないですけど、こうずっとマンツーマンで、いろんなことを指導していただいて。やっぱり、環境がちょっと変わって良くなったのかなと思います。

―それも1つのきっかけかもしれないと。先ほどありましたけれども、日体大時代は教員になることも考えていたと

宮乃風そうですね。

―大相撲の世界は、その時は選択肢になかったと

宮乃風そうですね。ほとんどなくて。おやじが教員なので、その後を継ごうと思って。相撲の顧問しながら体育の先生をやろうって考えてたんで。でもやっぱり、このちっちゃい、小さな体で炎鵬関とか宇良関とかが活躍してるのを見てて、どっかでなんか自分もやりたいなっていう気持ちはあったんですけど。なかなかこう、大学で成績も残してないので、行きたいとも言えずに。でも最終的に親にも「後悔しない選択を」って言われたので、入門したいということを決めて、はい。

―その学生時代、師匠との出会いというのも1つ、きっかけだったというふうに聞きましたが

宮乃風そうですね。行きつけの、日体大の行きつけの居酒屋で、たまたまちょっとお会いして。その時にちょっと声をかけてもらって。その時なんかすごいうれしくて。いろんな相撲に対する指導を、ちょっとしていただいたんですけど。それぐらいの認識で。他はもうなかったんですけど。そうっすね、やっぱ入るなら、日体大の先輩がいて、やっぱり幕内力士で体が大きくない。こう、やり合っていたの見てたので、指導してもらいたいなと思って来ました。

取組前の所作に臨む宮城(2021年9月12日撮影)

取組前の所作に臨む宮城(2021年9月12日撮影)

―大相撲の世界への思いが強くなったと

宮乃風はい、そうですね。

―これで沖縄県出身の関取が4人ということになりました。この辺はどうでしょうか

宮乃風特に意識はしてなかったんですけど、この3人(沖縄県出身の関取が同時に3人)っていうのが初めてって聞いて、やっぱりうれしいですし、自分も幕内までいって、美ノ海関や嘉陽関と一緒に、上で戦いたいなっていう気持ちはあります。

―春場所は宮乃風関の昇進だけではなく、美ノ海関が敢闘賞、嘉陽関が新入幕を決定的と、非常に刺激もあったのではないですか

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1999年入社。スポーツ部ではサッカー(1)→バトル→五輪→相撲(1)→(5年半ほど他部署)→サッカー(2)→相撲(2)→ゴルフと担当。他に写真部、東北総局、広告事業部にも在籍。
よく担当や部署が替わるので、社内でも配った名刺の数はかなり多い部類。
数年前までは食べる量も社内でも上位で、わんこそばだと最高223杯。相撲担当になりたてのころ、厳しくも優しい境川親方(元小結両国)に「遠慮なく、ちゃんこ食っていけ」と言われ、本当に遠慮なく食べ続けていたら、散歩から戻った同親方に「いつまで食ってんだ、バカヤロー!」と怒られたのが懐かしいです。26年4月に文化社会部へ。