【高砂部屋の面々〈10〉】競泳→明徳義塾… 砂坂が新風を吹き込み始めた

初場所の前相撲で初土俵を踏んだ砂坂(18)が、番付に初めてしこ名が載った春場所を、6勝1敗の好成績で終えました。師匠の高砂親方(元関脇朝赤龍)の後輩にあたる、高知・明徳義塾高出身。東序ノ口14枚目で臨み、一番相撲こそ明徳義塾高で同学年、ライバル視する天狼星(錣山)に敗れましたが、その後は6連勝で駆け抜けました。

西序二段34枚目に番付を上げた夏場所(5月11日初日、東京・両国国技館)では、さらなる活躍を目指す決意です。

大相撲

◆砂坂有哉(すなさか・ゆうや)本名同じ。2006年(平18)10月13日、福岡・田川市生まれ。後藤寺小5年から本格的に相撲を始め、6年時に九州大会2位。高知・明徳義塾中、高に進学し、高校3年時に全国高校総体個人戦で8強。3、4歳ごろから始めた競泳では「小学4年生か5年生の時に」長水路(50メートルプール)の100メートルバタフライで福岡県優勝。今年初場所初土俵。序ノ口の春場所は6勝1敗。得意は突き、押し。家族は両親と姉。176センチ、140キロ。

競泳から相撲へ

高砂部屋からまた一人、有望な若手が番付デビューを果たした。昨夏の全国高校総体(インターハイ)個人戦8強の砂坂が、序ノ口で6勝1敗と実力を発揮した。筋骨隆々の176センチ、140キロの体で、鋭い立ち合いからの激しい突き、押しを武器に白星を重ねた。「優勝したかったけど、初日(一番相撲)に負けた時点で切り替えた。1日1番を心掛けて、そこから全部勝てたのはよかった」と、充実の表情で振り返った。

身体能力の高さは、他競技の実績が物語っている。相撲よりも先に実績を挙げたのは「物心がついた時には」と3、4歳ごろから始めた競泳だった。福岡・後藤寺小の「4年生か5年生の時に」、長水路(50メートルプール)の100メートルバタフライで福岡県優勝。筋力も柔軟性も求められるバタフライが、相撲にも生きることは、元大関の初代貴ノ花が全中の同じ種目で、当時の中学生新記録を樹立したことからも証明されている。

ただ、小学4年時に借り出される形で出場した、相撲の学校対抗戦で他校の児童に負けた日から、相撲にはまっていった。「水泳はタイムとの争いだけど、相撲は相手との争い。それが楽しかった」。小学5年から本格的に相撲を始め、6年時には九州大会2位。競泳で進学する道もあったが断り、相撲で明徳義塾中に推薦入学。小学校卒業を機に、相撲一筋となった。

大典翔(左)を攻める砂坂(2025年3月11日撮影)

大典翔(左)を攻める砂坂(2025年3月11日撮影)

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1999年入社。スポーツ部ではサッカー(1)→バトル→五輪→相撲(1)→(5年半ほど他部署)→サッカー(2)→相撲(2)→ゴルフと担当。他に写真部、東北総局、広告事業部にも在籍。
よく担当や部署が替わるので、社内でも配った名刺の数はかなり多い部類。
数年前までは食べる量も社内でも上位で、わんこそばだと最高223杯。相撲担当になりたてのころ、厳しくも優しい境川親方(元小結両国)に「遠慮なく、ちゃんこ食っていけ」と言われ、本当に遠慮なく食べ続けていたら、散歩から戻った同親方に「いつまで食ってんだ、バカヤロー!」と怒られたのが懐かしいです。26年4月に文化社会部へ。