【朝乃山を追う:25年春場所〈下〉】富山市巡業で感じた関取衆からのやさしいいじり

2024年5月の夏場所から、5場所連続で休場していた大関経験者の朝乃山(31)が、復活の三段目優勝を果たしました。西三段目21枚目で臨んだ春場所を7戦全勝。五番相撲で対戦した元幕内矢後を除く6人とは、いずれも初顔合わせでしたが、実力の違いを見せつけた格好でした。昨年は夏場所を右膝痛で全休。続く名古屋場所4日目に左膝前十字靱帯(じんたい)断裂などの大けがを負い、日常生活もままならない状態から再起。そんな春場所の戦いぶりと、場所後のインタビューを「上」として、4月6日に故郷の富山市で行われた、春巡業に特別参加した時の様子を「下」として、2回にわたってお伝えします。

大相撲

出身の富山市での巡業に特別参加した朝乃山は、入場客に向けて警察の暴力団追放を呼び掛けるチラシを配布した

出身の富山市での巡業に特別参加した朝乃山は、入場客に向けて警察の暴力団追放を呼び掛けるチラシを配布した

特別参加した富山市巡業

桜が満開を迎えた4月6日の富山市。富山駅から徒歩10分足らずの富山市総合体育館前で、午前9時の開場を前に、朝乃山ははだしで路上に立っていた。上半身裸の黒まわし姿で、右肩からたすきを掛け、警察の「暴力団追放」を呼びかけるチラシを配布。力士でなければ、むしろ警察に呼び止められるような姿でも、朝乃山の人気は絶大だった。

用意された300部のチラシは、瞬く間になくなった。チラシがなくなっても、目当てがチラシではなく朝乃山だけに、集まった人たちはペタペタと朝乃山の体を触っていった。本来、巡業に参加する力士は幕内、十両上位とその付け人、さらには同行している巡業部や審判部の親方衆の付け人らに限られる。富山市出身の朝乃山は今回、巡業主催者の要望を受けての特別参加だった。

前日4月5日に、都内の部屋で稽古後に新幹線に乗り、午後3時半ごろに富山入りした。その後、実家に寄って仏壇に手を合わせ、近隣の公民館で古くから知る地元住民と交流。夕方からは、富山駅に近いホテルで行われた、高砂部屋の激励会に参加した。「疲れ果ててしまったのと、実家に泊まると母親に送ってもらうことになって悪いので」と、その夜は、部屋の激励会が行われた、巡業会場にもほど近いホテルで宿泊。歩いて午前7時過ぎに会場入りし、開場前の稽古場で準備運動を済ませてから、チラシ配布に臨んでいた。巡業を終えると、すぐに帰京し、翌7日には再び都内の部屋での朝稽古に参加するという1泊2日、滞在丸1日余りの強行日程だった。

「朝乃山さんには彼女はいるのでしょうか」

会場外でチラシ配布の一仕事を終えると、約4000人が集まった会場内での最初の見せ場は、来場者からの質問に答えるコーナーだった。昨年名古屋場所で左膝を大けがした際の対戦相手だった一山本、朝乃山と同様に膝の大けがから復帰し、リハビリなどのアドバイスをもらっていた若隆景という、普段から親しい2人と一緒に土俵に立ち、マイクを手に会場を盛り上げた。来場者からの主な質問と、3力士の回答は以下の通り。

出身の富山市での巡業に特別参加した朝乃山(右)は、土俵上で観客からの質問に答えた。左は若隆景、中央は一山本

出身の富山市での巡業に特別参加した朝乃山(右)は、土俵上で観客からの質問に答えた。左は若隆景、中央は一山本

―どうして3人は、そんなに仲がいいのですか

若隆景仲良くないです。

一山本めちゃくちゃ仲いいです。

朝乃山全然、仲良くないです。

―いつも休みの日は何をしていますか

若隆景子どもたちと遊んでいます。

一山本家の掃除をしています。

朝乃山たくさん寝たり、あとは治療とかをしています。

―尊敬する力士、憧れの力士は誰ですか

若隆景3代目の若乃花さんです。

一山本若隆景関です。

朝乃山相撲は、あんまり見たことがないんですけど、地元(富山市出身の横綱)の太刀山さんです。

―富山に着いて、昨夜は何かおいしいものは食べましたか

若隆景僕は特に。ホテルでご飯を食べました。

一山本僕、生ものを食べられないんで、昨日は焼き肉でした。

朝乃山僕は魚とブラックラーメンを食べました。

―ご飯は何合食べますか

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1999年入社。スポーツ部ではサッカー(1)→バトル→五輪→相撲(1)→(5年半ほど他部署)→サッカー(2)→相撲(2)→ゴルフと担当。他に写真部、東北総局、広告事業部にも在籍。
よく担当や部署が替わるので、社内でも配った名刺の数はかなり多い部類。
数年前までは食べる量も社内でも上位で、わんこそばだと最高223杯。相撲担当になりたてのころ、厳しくも優しい境川親方(元小結両国)に「遠慮なく、ちゃんこ食っていけ」と言われ、本当に遠慮なく食べ続けていたら、散歩から戻った同親方に「いつまで食ってんだ、バカヤロー!」と怒られたのが懐かしいです。26年4月に文化社会部へ。