【千代の富士を忘れない 後編】初優勝、一代年寄を辞退…引退会見「体力の限界」

横綱千代の富士が亡くなってから10年になります。2016年7月31日、元千代の富士の九重親方(本名・秋本貢)が膵臓(すいぞう)がんのために61歳で死去しました。没後10年の節目に、あらためて千代の富士の功績を2回に分けて振り返ります。

後編は、初優勝から引退まで。「体力の限界…」と言葉を絞り出して涙を流した場面は、多くの人の心に残っています。(年齢、肩書などすべて、掲載当時のまま)

大相撲

もくじ

  • 関脇千代の富士が初優勝
  • 大関は3場所で通過 58代横綱へ
  • V20、5場所連続優勝
  • 国民栄誉賞、そして一代年寄
  • 一代年寄を辞退
  • 千代の富士、最後の優勝
  • 引退会見で「体力の限界…」

初優勝、ウルフ伝説始まった

千代の富士の初優勝は、関脇の時でした。25歳の時です。白鵬は21歳、大鵬と北の湖は20歳、貴乃花は19歳の時に初優勝を果たしました。比較すると、千代の富士の初Vは決して早かったとはいえません。それでもここから、31回の優勝を重ねていきます。

この時から将来性は高く評価されていました。千代の富士は初Vで大関昇進を決めました。日刊スポーツの1面では、「ウルフ9月横綱」と見出しを掲げ、記事には、早ければ秋場所にも横綱になると書いています。

かなり先走った報道のように読めますが、千代の富士は大関をわずか3場所で通過し、実際に秋場所で新横綱になりました。

当時から、師匠の九重親方(元横綱北の富士)のキャラクターも際立っており、「自分はもっぱらジョギングに精を出す。それもヤングっぽくヨットパーカーを着込んで…」と記事に書かれていました。時代を感じる筆致です。

1981年1月26日付

”V大関”ウルフは年内に綱を締める! 関脇・千代の富士は、優勝決定戦で横綱・北の湖を上手出し投げに仕留め、歓喜の初優勝を飾った。全勝こそならなかったが、大賜杯を手土産に大関昇進、角界のスーパー・ヒーローとして年内横綱へ第一歩を踏み出した。関脇優勝は五十年十一月の三重ノ海以来五年二か月ぶり、十七人目。”横綱賜杯”は二十二場所ぶりに阻止された。なお二十八日、番付編成会議後、東京・江戸川区春江町の九重部屋に協会から大関を告げる使者が立つ。

1981年初場所、優勝決定戦で北の湖を破り、初優勝を決めた関脇千代の富士(1981年1月25日撮影)

1981年初場所、優勝決定戦で北の湖を破り、初優勝を決めた関脇千代の富士(1981年1月25日撮影)

「ものすごかった。想像していたのとは全然違っていた」とウルフが驚いた。座布団が舞う。桟敷席は総立ち。喚起が渦巻いて鳴りやまない。

北の湖がうつ伏せに倒れている。その横で仁王立ちのウルフ。ゆっくりとした足取りで二字口に戻って行く千代の富士の筋骨隆々の背中に「横綱だ!」という声が飛んだ。

冗談でもない。希望的観測でもない。横綱・千代の富士誕生は、現実にすぐそこ。早ければ北の湖の時と同じ名古屋場所後の秋場所(九月)にも実現する。千秋楽、本割りで北の湖に敗れた千代の富士は、決定戦で見事に北の湖を上手出し投げで仕留めた。「本割りで負けたら、決定戦でも負けるだろう」(佐渡ケ嶽親方)という予想をくつがえした強さの秘密は、物おじしない精神力。貴ノ花が「人気は重荷だった。だれか代わってくれないかと思った」と言っていたのに、千代の富士は「人気? 痛いもんだよ。だってたたかれるからね」とジョークで一しゅう、計り知れないずぶとさをのぞかせる。

専門家の目も、横綱千代の富士誕生に積極的だ。「年内に誕生するかもしれない」と真剣にいうのは高砂審判部長(元朝潮)。千代の富士と同じように、関脇で14勝1敗で優勝し、大関に昇進、その後、十一月場所で綱を盗った中立審判副部長(元栃ノ海)も「今の千代の富士は、現役時代のオレよりずっと強いからね」といい、春日野理事長(元栃錦)でさえ「型を持つようになれば、可能かもしれない」といっているのだ。まだある。横綱審議委員の稲葉修氏だ。十三日目に、千代の富士の土俵を直接見て「今年中に横綱になる」ときっぱり。この日、カタキ役を演じてしまった北の湖も「大関になっても二ケタは確実にあげられるだろう。これからまた何度も合う相手だから、負けられない」と、実際に相撲を取っている立場から、横綱近しを予言した。

「横綱? がんばります。なる自信? うん、これから自信をつけていきたい」とウルフは変にけんそんなんかはしない。カラッと明るいニューヒーローは、自分でもその気十分なのだ。

横綱といえば角界の表看板。その目玉になる横綱千代の富士は実力、人気を兼ね備えた、大鵬以来といっていい超スーパースターになる。【工藤】

1981年初場所 14勝1敗で初優勝を決めた関脇千代の富士は、支度部屋で念願の賜杯を手にして後援者から祝福を受ける(1981年1月25日撮影)

1981年初場所 14勝1敗で初優勝を決めた関脇千代の富士は、支度部屋で念願の賜杯を手にして後援者から祝福を受ける(1981年1月25日撮影)

1981年1月26日付 社会面

スーパーヒーローの誕生だ。日本列島を熱狂の渦に巻き込む中、見事に初優勝を飾った千代の富士は、まさに角界の救世主。「君が代は千代に八千代に千代の富士」である。この現代っ子ヒーローの杯後には、いまなお封建的風習が濃く残る角界の中で、自由をモットーにする異色の指導者・九重親方(元横綱・北の富士)の型破りな管理術が脈々と流れている。【三浦(基)】

◇金は堂々と自分の力で稼げ! 「人気者になったんあらCMでもなんでもどんどん出ろ」と九重親方はいう。格式を重んじる相撲界では、CMに出演したり、あちこちのテレビに出たりすることは好まれない傾向にある。だが九重親方は「自分の力で勝ち取った人気で金をもうけるのは当然のことだ」という。逆に「変に遠慮したり、カッコつけて断り、変なタニマチ(後援者)につかまりよりよっぽどいい」とキッパリ言い放つのだ。「要するにプロは金なんだ」という哲学。

ただ一つ禁止しているのはレコードの吹き込み。「おれもレコードを出した経験があるがあれだけはダメ。プロの相撲とりとしてのイメージをダウンさせてしまう」からだ。あくまでも本業で作り上げた力で勝負するのがプロなのである。

◇豪快に遊べないヤツは出世なんかできない! これはウルフがよく口にする言葉だが、教えたのは九重親方だ。こんな話がある。昨年の九州場所のことだ。朝げいこを見ていた親方が前夜、夜の博多で出かけた若い力士をつかまえて「きのうは何時に帰ってきたんだ」と質問した。若い力士がが「八時ごろです」と答えた瞬間、親方が怒鳴った。「バカ! もっと遊んでこなきゃダメじゃないか」

「月のこづかい百万円」というウルフは「勝負師はきれいに派手に遊ぶ」と教育された代表格だ。

また反対する親方の目を盗んでゴルフに出かける力士がいる中で九重部屋はゴルフ公認。「麻雀なんかで腰を悪くするより、ゴルフの方が足腰によっぽどいい」(九重親方)からだ。ウルフは「ゴルフが趣味」と公然と言っているが、その背後には「協会からゴルフ禁止なんて言われたらおれが断固反対してやる」という九重親方の言葉があるのだ。

◇縮こまるな、伸び伸びやれ! これほど力士たちと気軽に接する親方も少ない。わざわざ、それもガウン姿で二階の大部屋まで遊びに行き、若い者をからかったりする。「それ、オレへのプレゼントだろ?」「千代の富士関のです」と言われると「オレももてなくなったなあ」

けいこ場へもあまり姿を見せない。すべて自主性に任せて、自分はもっぱらジョギングに精を出す。それもヤングっぽくヨットパーカーを着込んで…。だが決して無責任なのではなく、つかむべきところはちゃんと見ている。初場所二日目、ウルフの微熱を鋭く察知し、黙ってニンニクの粒を与えた。大関盗りも後半戦に突入し周囲が疲労を心配したときもウルフの目を一目見て「大丈夫。あいつの状態は目でわかる」とキッパリ言った通りにウルフは疲れ知らずの優勝だ。初場所初日、若手全員を集め「今場所はウルフ以上にお前たち自信にとって大事な場所なんだぞ」と訓示したのも逆療法の一つなのだ。

1981年初場所 14勝1敗で初優勝を決めた関脇千代の富士は、九重親方(右)らから祝福の美酒を注がれ笑顔を見せる(1981年1月25日撮影)

1981年初場所 14勝1敗で初優勝を決めた関脇千代の富士は、九重親方(右)らから祝福の美酒を注がれ笑顔を見せる(1981年1月25日撮影)

大関は3場所で通過、58代横綱へ

千代の富士は大関3場所目で2度目の優勝を果たし、横綱昇進を決めました。大関はわずか3場所で通過しました。

当時の報道では、見出しを「千代の富士」とせず愛称の「ウルフ」としています。記事中にも「ウルフ」が出てきます。命名したのは、のちに師匠となる北の富士。ざんばらだった当時の千代の富士の目を見て「まるで狼みたいだ」と言ったことがきっかけでした。

1981年7月20日付

ウルフ、横綱確定! V2と横綱昇進をかけて臨んだ楽日決戦、大関・千代の富士は宿敵・北の湖を会心の相撲で寄り切った。横綱への絶対条件をすべて満たしたウルフに、協会側もきょう二十日の横綱審議委員会への諮問を決定。あす二十一日の番付編成会議で五十八代横綱・千代の富士が誕生する。これで北海道出身の横綱は北の湖以来六人目。しかもこの快挙に秋場所は明治三十八年一月場所以来、七十六年ぶりに大関空位の場所となる。

1981年名古屋場所後、横綱昇進を決めた千代の富士は、祝いの鯛を手に記念写真。左は千代の山夫人の杉村光恵さん、右は九重親方(1981年7月21日撮影)

1981年名古屋場所後、横綱昇進を決めた千代の富士は、祝いの鯛を手に記念写真。左は千代の山夫人の杉村光恵さん、右は九重親方(1981年7月21日撮影)

打ち出し後わずか十五分後、春日野理事長は「ただ今、審判部から要請があり、千代の富士の横綱栄進を(二十日に開かれる)横綱審議委員会に諮問することが決定しました」と発表。それを受けるように横綱審議委員の一人、高橋義孝氏が「すばらしい成績だ。体もまだ大きくなるだろうし、横綱として十分やっていける」と”綱当確”を暗示した。

綱を射とめる大一番はそれほど完ぺきなものだった。まるで巨象にかみつくように突進した瞬間、北の湖の前ミツはウルフの手中になった。右からかかえ込むように出る北の湖の寄りを、余裕を持ってこらえると、体を入れ替えて逆襲。焦る北の湖が懸命に寄り返そうとした時、必殺の右上手出し投げ。たたらを踏む横綱の左腰に食いついて、土俵から追い出すまでわずか8・4秒の速攻だった。

「出し投げ? ついとっさに出たのさ。速かったね」ウルフは大満足といった表情を浮かべるが、その顔のどこを捜しても、綱をがっちりつかまえた興奮は見当たらない。

横綱昇進の報告を受ける千代の富士。右側奥が九重親方(1981年7月21日撮影)

横綱昇進の報告を受ける千代の富士。右側奥が九重親方(1981年7月21日撮影)

まだ実感がわいてこないのだろうか? いや違う。人間離れしたこの強心臓が、第五十八代横綱に千代の富士を押し上げたのだ。

「内心硬くなってんだろうって? そんなことないよ。いつものペースだったよ」と不敵に笑う。優勝パレードではもみくちゃ。名古屋市内の郵便貯金会館で行われた九重部屋千秋楽慰労会は、五百人の予定を軽くオーバーする八百人が押し寄せ、足の踏み場もない騒ぎ。こんな熱狂に包まれてもウルフは全く動じない。「もうそろそろ実感がわいてもいいじゃない?」と水を向けても「いや、ホッとしているだけだよ。それよりも本当に暑いねえ」と言って紋付きから浴衣に着替え、知人たちと和気あいあいのやりとりだ。

審判として西土俵下で勝利の瞬間を見届けた師匠の九重親方は「こっちの方が完全に冷静さを失ってたよ」と頭をかきながら「しかしあいつは、本当に精神力がしっかりしている。自分の経験から、大関と横綱では立場が全然違う。だが予想以上に力がついているし、あれほどまでの精神力があれば全く心配ないだろう」と横綱・千代の富士に太鼓判を押した。

「横綱? なってみないと分からない。どんなタイプになりたいかって? あとで考えるよ。エヘヘ」とどこまでもひょうひょうたるニュータイプのスーパーヒーロー、このひついに頂上を極めたのである。【三浦(基)】

1981年名古屋場所後、横綱昇進を決めた千代の富士は、付け人たちの騎馬の上でガッツポーズ。右から二人目は幕下の保志(後の横綱北勝海)(1981年7月21日撮影)

1981年名古屋場所後、横綱昇進を決めた千代の富士は、付け人たちの騎馬の上でガッツポーズ。右から二人目は幕下の保志(後の横綱北勝海)(1981年7月21日撮影)

V20、5場所連続優勝

初優勝からちょうど6年。千代の富士は20回目の優勝を果たしました。

5場所連続優勝を果たすなど、まさに全盛期。このころは、一代年寄についての話題が盛んでした。

優勝20回の節目でしたが、日刊スポーツは1面ではなく、7面で報じています。もはや千代の富士の優勝は珍しいニュースではなく、当たり前の日常になってしまったことの表れでもありました。

ちなみにこの日の1面は、「巨人が多摩川キャンプを開始したものの、グラウンドにゴミがばらまかれるなどの嫌がらせがあった」という騒動を報じていました。

1987年1月26日付

千代の富士(31=九重)が優勝決定戦で双羽黒(23=立浪)を下し、12勝3敗で通算20回目の優勝を飾り一代年寄を確定した。結びの一番こそ双羽黒の上手投げに屈したが、昨年名古屋場所以来の決定戦で千代の富士は右外掛けからつり出しで快勝。一昨年初場所にオープンした両国国技館で完全制覇のV7を達成、自己新の5場所連続優勝など記録ずくめで、史上3人目の一代年寄を贈られることが確実になった。

1987年初場所 12勝3敗で20度目の優勝を飾った千代の富士(左)は春日野理事長(元横綱栃錦)から賜杯を授かる(1987年1月25日撮影)

1987年初場所 12勝3敗で20度目の優勝を飾った千代の富士(左)は春日野理事長(元横綱栃錦)から賜杯を授かる(1987年1月25日撮影)

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スポーツ

佐々木一郎Ichiro Sasaki

Chiba

1996年入社。特別編集委員室所属。これまでオリンピック、サッカー、大相撲などの取材を担当してきました。X(旧ツイッター)のアカウント@ichiro_SUMOで大相撲情報を発信中。著書に「稽古場物語」「関取になれなかった男たち」(いずれもベースボール・マガジン社)があります。